絶望に効くお薬処方箋 漫画家 山田玲司 公式サイト

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コラム 2017.06.06

【第20号】巣を見る女とおっぱいを見る男

前回は僕の好きな映画の話ばかりしてしまったので、今週は逆におっくんの好きな映画を語ってみようと思って、観てみました。

おっくんのベスト3に入っていた映画なのに観てなかった『レボリューショナリーロード』と『君に読む物語』の2本です。

まあ、僕が無性に映画を漁ろう(主に名画と言われるやつ)とかしてる時はだいたい「ネームから逃げている時」です。

ストーリーの流れは出来てるものの「何か違う気がする」とか「俺はもっと面白いものが描けるはずだ」とか思ってのたうち回っているいる時なのです。
なまじ、キャリアが長くなり、多くのモノを知ってしまうと「これはアレに似ている」とか「これはあの人がやってた」とか思ってしまって、ネームがとにかく進まない。

自分の中の「評論家」を殴って眠らせてしまいたい。

そんな時、映画とかを純粋にお客として楽しむ事ができれば「俺も頑張る」とか「俺ならもっと面白くできた」とか、漫画家の自分が盛り上がるわけです。

さて、あのおっくんが「ここまでするか!?」と、言っていた『レボリューショナリーロード』ですが、確かにかなり辛い映画でした。

あの『タイタニック』で純愛を果たした2人(デカプリオとケイト)がもし生きていて、結婚してたらこんなだぜ、みたいな製作者側の「悪意」が匂う(気がする)映画でした。
恋愛とかが終わって結婚が「暮らし」になると、それまで2人を繋いでいた「夢」みたいなものがどうなるか?みたいな恐ろしいことが主題の映画です。

これは僕みたいな「夢がないと生きていけないタイプの人間」にとってはどうしようもなく「逃れようのない問題」です。
恋という魔法は相手を「特別な存在だと思わせる魔法」をかけてしまうし、「自分の選んだ相手は特別であるはず」と思いたいものです。

ところが2人が結ばれて「恋」が「生活」に埋もれていくと「相手も自分も特別ではないただの凡人」だという現実が露呈してくるという話です。

いやー恐ろしい。
これは『ブルーバレンタイン』でも描かれているテーマで、実にアメリカ文学的な題材だけど、まさに今の日本人が対面している問題でもありますよね。

「私は特別だ」という思いは日本人の誰もが1度は心に抱く思いです。ドラクエにしろ、ポケモンにしろ、セーラームーンにしろ、主人公は「特別な存在」として選ばれています。
この映画は「自分は特別だ」と思っている2人による平凡との戦い(脱出劇)と、その絶望的な末路が映し出されています。
そこには「完璧な人生」を望んで、それ以外は不幸だと思ってしまう現代人の「底なしの不幸」が描かれています。

と、同時に、「私は平凡で幸せ」と思っている他の人達の現実も残酷に暴いていくのです。

劇中、ある登場人物によって語られる「本当は脱出する勇気がないんだろ?」という恐ろしいセリフ。これは「凡人は凡人であることを本当は望んでいる」という恐ろしい話です。

そしてもう1本『君に読む物語』です。

この映画は恋愛における果てしない理想の結末が描かれています。

「若い僕は君と出会い、死ぬまで愛しあった」という話なので、何かをツッコむのも野暮な映画です。

この2本の映画は、それぞれ恋愛の「過酷な現実面」と「甘い理想」の両面を描いている対極的な物語なのだけど、面白いのはその中にもの凄く「本質的なテーマ」が語られていることです。
それは「巣作り」です。
『君に読む物語』の中盤で、ヒロインは彼に「私の前世は鳥なの。私は鳥よ、あなたも鳥になって」と言います。

そんな無邪気な彼女に彼は「君が望むなら僕は鳥になるよ」と返すのです。
彼は「家」を作るのです。彼女のための家です。人生を通じて彼が成し遂げたのは彼女を呼ぶ「家」(巣)を作ることなのです。

そして彼は、大金持ちの家の娘で、玉の輿に乗ろうとしている彼女を、完成した素敵な家(巣)に呼んで、彼女を手に入れるわけです。

つまり、彼は鳥になったのです。

『レボリューショナリーロード』でも主人公のデカプリオは郊外に理想の家を手に入れます。

問題があるとすれば、デカプリオの家(巣)が特別な彼女にとっては満足のいくものではなかった、という事ですが。
この2つの作品は「暗部」と「理想」を極端に描いているので、私には関係ないと思われる人もいると思います。

でも、男を「収入」や「住んでいる町」などで判断する女性はまだまだ多いです。

男の中にも「女の人は料理が出来て、掃除が出来て、見た目が良いのがいい」みたいなことを当たり前だと思っている人もいます。
つまり相手を電化製品か車でも買うみたいに「スペック」で選んでいるという話です。

僕も美人は好きだし、収入のいい男が「優秀な男」で、女を幸せにする可能性が高いといわれれば、まあそうかしれないとも思います。
でも、この考え方は決定的に「不幸の種」を含んでいいるのです。

それは「自分を幸せにするための道具」として相手を探しているという部分です。
女の人を「子供を産む機械」と言っていた人がいました。

男を「金持ちかどうか?」で選ぶ女も普通です。
しかし、僕らは本当に「良い巣」を作って繁殖をするためだけに「相手」を求めているのか?
子育てに有利な「大きなおっぱい」を探すだけなのか?
「それが人間だ」という意見もわかります。
「だったら見た目のいい女になって愛されてやる!」とか、「大金持ちになって女にモテまくってやる」という人生もわかります。
でも、その先は道具と生きるという暮らしが待っているわけです。

そして「その道具」は思っていたようには機能しない事もあるのです。(なので、人は「永遠」を夢見るわけです)

妻の夢を叶えられないのに「愛してる」というデカプリオをケイトは笑い飛ばします。それは「使えない家電」だった男に対する嘲笑であり、同時に彼女自身の「実は夫を愛してなんかいなかった」という事実に対する絶望の笑いなのです。

「だったら恋愛なんかしないほうがいいのか?」というと、そうではないんです。

金や土地やブランドなどの幻想に惑わされて、人が人を見る事ができなくなっただけの話です。

ただ「相手を人間として見ればいい」のだと思います。
それが「勝たなくてはいけない」「美しくなくてはいけない」という苦しみから、お互いを解放するのではないでしょうか?

山田玲司

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メルマガ発行日 2015/2/16

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