コラム 2017.08.25

【第99号】「妖怪と暮らす方法」

山田玲司のヤングサンデー 第99号 2016/8/29
妖怪と暮らす方法

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人の言うことはあてにはできない。
わかっているけど、ついつい信じてしまう。そして「あれ、何だか前に言ってたのと違う」とか「こんな人だとは思わなかった」なんてことにもなる。
とは言っても、そんな事を言っている自分だっていつも「正しいこと」を言ってるわけではない。
体調が悪いと言葉は雑になるし、機嫌が悪いと本心ではない事だって言ってしまうのが人間だ。記憶だって曖昧なのが普通だと思う。
それでも人はなぜか「人のいうこと」を信じたくなる。
若ければ若いほど、他者に期待しているので、いいかげんな事を言う人に失望してしまう。
特に親や先生など、なんか偉そうにしている人が、かなりいいかげんな事を言っていると「がっかり」は大きい。
だからと言って全ての人を疑ってかかるのも疲れる。
こうなると「誰だって自分と同じで、その日によっていい加減なことを言うものだ」と思って、相手の言葉に「過度の整合性」なんかを期待しないことだろう。
そうなると、じゃあ誰の言うことを信じたらいいの?となる。
今回の放送ではそれを「死者や妖怪(目に見えない存在)にしよう」という話をしようと思ったんだけど、体調が悪くて(笑)そこがいいかげんな説明になってしまったので、今週は「その方法」を書きます。

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水木先生によれば「おばけは死なない」らしい。
評価、査定されることも、批判や賞賛されることもない。なので、そんな事に怯えて暮らす「生きた人間たち」なんかとは「位が違う」のだ。
なので、彼らの見解は「あて」にできる。
とは言ってもどうすれば「妖怪」や「妖精」「精霊」や「死んだ人」の話を聞くことができるのだろう?
まずは「死者」を味方にしよう。
第1段階は、今はもう生きていない人の気持ちになって「こんな時あの人ならどうしただろう?」と想像する。
困ったときに「あの人がいたら何て言ってくれるだろう?」と考える。
絶望に効くクスリに出てくれた人でも、もうこの世にいない方も何人かいる。忌野清志郎さんや、河合隼雄先生や、森毅先生などは、僕のヒーローだったのだけど、もう「生きた人」ではない。
だから僕は、何か会った時は、心の中で彼らと会話する。
ありがちなドラマなんかのセリフで言うところの「彼は私の心のなかで生きている」ってやつです。
そんなものは「自分にとっての理想の相手を勝手に想像しているだけだろう」とも言えるけど、それでも、利害関係で生きている「生きた人間」よりも信用できる。
もしも僕が「死んだ人間」になって、この世をさまよっていたら、そんなふうに僕を思ってくれる人を「助けたい」と思うに決まっている。
特に「優しかったおばあちゃん」が亡くなっていたりした場合は、最高の「サポーター」や「心の支えに」になるだろう。
とは言っても、番組でおっくんが言っていたみたいな「死者には憎悪や悪意を抱えたものもいる」というのもあるかもしれない。
でも、しょせんは「物理的な身体のない死者」という存在だ。
「悪霊的な存在」は、嫌いなテレビ番組のチャンネルを変えたり、感じ悪いSNSのアカウントをブロックするみたいに、受信しなければいいだけだ。

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第2段階は「精霊や妖怪と語る」ステージだ。
バリ島の話でしたけれど、自然界は生きたものと「見えないもの」が混在していて、近代社会はその「見えないもの」を排除してきてしまった。
でも、彼らは存在していて、こっちがその存在を意識してさえすれば、向こうもこっちに「サイン」を送ってくれるのだ。(水木先生の言う通り)
すぐ近くにとけも綺麗な貴重な蝶が舞っていても、それに意識を向けない人には気がつくこともできない。

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第3段階はいよいよ「神様」を意識するステージだ。
心の中が、自分に関する「損得の問題」や「嫉妬」なんかで一杯になっていると、自分以外の世界は見えなくなってしまう。
そんな「自分で一杯」になっている、今の自分から1端離れて「死者の目線」であの世から「今の自分」を見る。
あの世から「今の社会」を見る。
これは「神の視点」でもある。
手塚治虫の「火の鳥」に出てくる、肉体は滅びたのに死ねない主人公(神)みたいな視点だ。
これがわかると、自分の周りに何か「大いなる存在」がいることに気がつく。
人は「それ」を「神」と呼んでいて、日本ではそんな神々はあらゆる場所にいて、その階級の幼いものが「妖怪」と呼ばれていたのだと、僕は思うのです。
こんな話をすると、すかさず「スピリチュアル乙」になるので、普段は言わないし、パワーストーンとかも着けませんけど、僕は「目に見えないものたち」に大いなる敬意と愛着を感じて生きているのです。
今回紹介した名作RPG「真・女神転生」はそんな「妖精」「妖怪」「天使」「神々」なんかを「ナカマ」にして、冒険をする話だったので、ぜひ紹介したかったのです。
目には見えない「沢山のナカマ」と人生という冒険を楽しむ。
そしていつか自分も「目には見えない存在」になって、誰かを助けるのです。
ほらね、こう考えると、人生から「孤独」と「死の恐怖」が消えて、ロマンチックな日々になるとは思いませんか?
では、残りの「愛しき夏の日々」をお楽しみください。
 山田玲司

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企画編集:山田玲司
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発  行:株式会社タチワニ
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