【第152号】「今も教室に住んでいる人」とは?
「今も教室に住んでいる人」とは?
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おことわり:このコラムは、ニコニコチャンネル「山田玲司のヤングサンデー」で配信されているメルマガを全文転載してお送りしています。転載期日が2018年4月下旬以降の号は、テキストのみを抜粋・転載しております。
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それは「サウナ」で起こった。
その日の僕は、放送の後の余韻と混乱で、どうにも漫画のアイデアが浮かばないので、近所の健康ランドに行く事にした。
そこは昭和風の温泉テーマパークで、「温泉」と呼べるほどのお湯には感じないけど、何しろ露天風呂で月が見える。
サウナもあるので、血流は良くなるし、疲れてヨガをやる体力が残っていない時にはありがたい。
そういえば昔描いた「ココナッツピリオド」のエンディングのアイデアはそこで浮かんだ。
今回も何か浮かぶだろう、と、1人でサウナ室に入る。
お客も少ないし、いい感じだ。
ところがだ。
サウナ室に設置してあるテレビがしょうもない民放のニュース番組を流し始めた。
山尾さんとかいう女性議員が神妙な顔で現れた。
どうやら「不倫」なるものを週刊誌にすっぱ抜かれ、責任を取って辞任する、とか言っている。
辞任するという女性議員がどんな人かはわからないけど、ニュースは、さも「大罪を犯した女」みたいに彼女を叩き、嘆いて、呆れている、みたいな感じになってる。
どうもその女性議員は、過去に不倫報道をされた議員を批判していたらしく、「お前だってそうじゃねえか」とばかりにコメンテーターは公開リンチに盛り上がっている。
議員辞職会見は、悪代官が追い詰められ、正義の鉄槌を降される瞬間みたいだ。
なんだかここ数ヶ月民法もネットもこんなのばっかりになってる。
中学生を叩いたとかいうジャズミュージシャンにもみんな怒ってる。・・・らしい。
こういう話を書くと「山田さんはどっち側ですか?容認側ですか?否認側ですか?」なんて聞かれるけど、そんなもん「知らないものはわからない」に決まってる。
そもそも「愛の問題」は当事者にしかわからないものだし。人生の全てが「完全なる潔白」なんて人はいないからだ。
そして人生は想像以上に複雑にできている。
フレンズでは、お父さんに不倫相手がいる事を知って「母さんが可愛そうだ!」と、大騒ぎする息子ジョーイに、お母さんが言う。
「お父さんはあの犬の葬儀屋(お父さんの恋人)と付き合い出してから優しくなったし、おかげで上手くいってるんだから、余計なことはしないでちょうだい」と。
さすがフレンズ脚本チーム。「人生の複雑さ」がよくわかってる。
これは今まで叩かれてきた「芸人」や「ミュージシャン」や「研究者」なんかにも言えるだろう。
簡単に非難できる事なんかそうそうあるもんじゃない。
ところがこの国のマスコミは「悪いヤツ」と決めたら絶対に許さない、みたいな雰囲気になる。
気がつくと僕のいるサウナ室までそんな雰囲気になっている。
僕の隣にいたおっさんは、その会見を見て「ひでえ女」と、ため息をついた。
何だか嫌な気分になって僕はサウナを出た。
何か「変なウイルス」を吸ってしまったみたいな感じだ。
それにしても、日本のマスコミはずっとこうだ。
「叩きやすそうな人間」を見つけては、「世間知らずの学級委員長」みたいな底の浅い正義感で容疑者を袋叩きにしていく。
特に昔人気があったり、清純なイメージで売っていたりした人ほど「袋叩き」は盛り上がる。
なんだかこれ、学校の教室で行われている「いじめ」と変わらない。
おまけに叩かれる人は「名前のある個人」だけど、叩いてるのは「みんな」という名前のない存在だ。
「みんな言ってるよ」とか言うものの、そもそも「みんな」とは誰なのかもわからない。
不倫疑惑の議員も「世間をお騒がせした責任」とか言うけど、迷惑をかけられた「世間」ってのが何者なのかも曖昧だし、そもそも「はるかに迷惑なこと」をやりながら平然と公務についてる人もいる気もする。
誰かを叩く事で日々のストレスを解消するのが「ニュース番組」や「ワイドショー」の仕事になってる感じだ。
そう言えば、今から13年前に僕が描いた「ゼブラーマン」の冒頭にも同じ様なシーンがある。
朝のワイドショーで見る「人の不幸」が「心の朝ごはん」とか描いている。
この状況は今も変わらないどころか、まるで国全体が「いじめのある教室」になってるみたいだ。
いじめの起こる「学校の教室」とはどんな所だろう?
僕はそこは「世界が見えない場所」だと思う。
教師達は「夢を持って、やりたいことを見つけて」などと言うくせに、いざ生徒が自分のやりたいものを追い始めると、教師も生徒も「そんなの無理に決まってる」と、笑うような人ばかりの場所だった。
そこでは教師も生徒も「外の世界」を見たことがないからだ。
そして教室では「評価」を巡って隣のやつと戦え、と言われる。
人には順位がつけられ、下位の者はバカにされ、意味もなく不安を煽られる。
そんな理不尽な「狭い場所」に閉じ込められた人間には「生贄」が必要なのかもしれない。
そんな時、あの天才編集者のカッキーとの打ち合わせがあった。
カッキーは唐突に「この先の生き方を決めました」と言った。
彼の唐突な大転換には慣れてはいるものの、今回もまた僕は驚かされた。
まだ発表はできないけど、彼は驚くような「挑戦」を始めるのだ。
「相変わらず君は凄いことをやり出すね」と、僕が言うと。
「僕の周りではこれが普通なんですよ」と、彼は言った。
そういえば彼の友人知人はやたらと「冒険家」が多い。
有名無名に限らず面白い事を平気でやっている人が大勢いる。その中にはあの「川村元気」も「堀江貴文」までいる。
彼らは「狭い教室」なんかにいつまでもいるようなタイプの人間ではない。
おそらく「議員の不倫」なんかどこまでも「どうでもいい」と思っている人ばかりだろう。
それがカッキーの生きている「環境」で、そこは「理不尽な、いじめ教室」ではない。
今日もテレビでは「こいつは悪人だ」と言われる人達が公開リンチにされ「ものすごく悪いヤツ」が外国にはいるから大変だ、と不安を煽っている。
そんな不寛容で排他的な空気の「テレビ」なんかを見ていると憂鬱になるので、僕は滅多にそれを見ない。
そんなテレビを1番見ているのは「主婦」だと聞いた。
同時にそれは「誰かのお母さん」だったりもするだろう。
そんな「リンチ」と「排他主義」の母に育てられた子供はどうなる?
おそらく学校で「同じこと」をやるだろう。
この問題についてずっと考えてきたけど、そんな悲しい連鎖も「断ち切ることはできる」と僕は思う。
自分だけでも「寛容」で「ご機嫌」に生きていれば、周りは少しづつ変わっていくからだ。
そうやって生まれる「環境」がある。
「夜と霧」という小説では、アウシュビッツに閉じ込められた歌手が絶望の中でも「歌を歌う」シーンがある。
ヤンサンがそんな「歌」を伝えられたらいいと思う。
今週もご機嫌にいくのだ。
山田玲司
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平野建太
Written by
ナオキ
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