コラム 2017.05.28

【第13号】「年上の言うことは、聞いてはいけない」

「年上の言うことは、聞いてはいけない」

なんて事を前回のニコ生で言っていた山田玲司です。

本当にどうかしてますね。これを言っている自分がもういいかげん、いい年で、放送を観てくれてる人のほとんどが僕より年下ですからね。年上の事をディスっているのに、自分が年上ですよ。
つまり「自分の言う事を聞くな」と言いながら聞いてもらってたんですね。
やばいですね。まあ要するに「俺以外の年上の言う事は聞くな」っていう気分だったんですね。(傲慢ですね)

どうしてそんな気分だったのかと言えば、直前にあった選挙の結果のせいでした。
かなり前から漏れ聞く「不正選挙疑惑」について、大手マスコミによる追及など微塵もないまま、同じように「いつもの人達が投票を仕切り、子供たちの健康の 問題やエネルギー政策、環境問題、原発、医療、食品(農薬関連)なんかで「ホラー」に近い情報が流れてくるのに、そんな議論はほとんど聞かれないまま、瞬 く間の選挙本番でした。

若い女の研究者の論文不正疑惑や、作曲家の不正にはあれだけ大騒ぎして、集団リンチする国が、本当に危険な話については「語らない」わけです。
子供の頃に見た「ロッキード問題」や「佐川問題」などの時は、まだマスコミは政治家や企業を追及していた気がするだけに、今回の空気がうすら寒いのです。

何もかもが今更書くのも野暮なんですが、僕にはこの国は「かつて経済で勝ってきた人たちの団体」が、これからも勝つため(儲けるために)に、多くの人を切り捨てたように見えたわけです。
詳しい事はここでは書きませんけど、問題はその「切り捨てられた人」の多くが「若者」で、その中には「子供」も多く含まれていることです。(子育て給付金も廃止だって?)

つまり、この国の有権者(大人)は「自分たちの今後繁栄」のために「子供たち」を見捨てたのです。

もちろん投票に行かない若者にも責任はあります。でも彼らは選挙で得られる利益(不利益)について理解できない教育環境にいた人たちです。

「この人が当選したら、自分の会社にでかい仕事がもらえる」みたいな恩恵は感じられないのです。ましてや、政治に無関心みたいな態度がクールに見えるような「バカ」な空気が相変わらず野放しです。(意図的な感も)
本当は選挙結果が自分の人生に大きな影響を及ぼすのに、それがわからないように“させられている”気がするのです。させられてますよね。

今更「既得権益団体のための愚民政策」について嘆くのも野暮ですが、今回は将来の子供達の「命に係わる問題」が恐ろしいほど“ないがしろ”にされていた事を露骨に感じたわけです。うううーーー。

こんな政治、手塚先生が許すわけないだろ!清志郎が許すわけないだろ!
とか思っていたら、熱くなってこのザマですよ。大寒波が来てるのにね!

そんなわけで今回も「年上問題」です。

「すごいね」の不足が「威張る人」を作る
女の人が男を落とす時に一番効く言葉はなんでしょうか?
それは「すごいね」という言葉です。
男という生き物は女の人に「すごいね」と言ってもらうために生きています。
男達のあらゆる努力はすべて、女からの「すごい」という評価のためなのです。
なので、モテる女の人はやたらとこの「すごい」を連発します。
この件については、僕の漫画「モテない女は罪である」に詳しく描いたのですが、女の人よりも、むしろ男たちから「その通りですよ」と切ない告白がを何人もの人から聞きました。
人は子供の頃に「すごいね」と言われて「僕はすごいんだ」「私ってすごいのね」と自信を持つようになるものです。
一部の人は、子供は何もできない(動物と同じ)なので、厳しく躾けて、簡単に褒めてはいけない、と言います。
こういう事を言う人は、子供の頃に「そのように」育てられてきた人です。
つまり「褒められてない」人でしょう。つまり子供の頃の「すごいね貯金」が少ないわけです。

自信というものに「根拠」は必要ありません。
世界的な評価を与えられてもなお「自信がない人」もいるし、何も成し遂げてないのに「なんとなく自信だけはある」という人もいます。
この違いはいったい何なのだと思っていたのですが、絶望に効くクスリの取材で「自信にあふれた人」に聞いてみると、ほとんどが、子供の頃に周囲の人間に「すごいね」と褒められていた過去がありました。「すごいね貯金」が多いのです。
根拠なき自信は「挑戦すること」のハードルを下げます。
そして失敗にも強いのです。なので、そういう「すごいね貯金」が沢山ある人は結果も出していくのです。

これは残酷な話です。
子供の頃に「僕を褒めて」と思っていたのに「すごいね」と言ってもらえなかった人ほど、自信がなく、「俺を褒めろ」という思いが溢れてしまうのです。
そういう人の話には「私を認めろ」という情念が潜んでいるのです。
ましてや「君はすごいね」と後輩を褒めて、相手に自信を与える事も(簡単には)出来ません。

(ちなみに漫画「アオイホノオ」で岡田さんの背後に「俺ってすごいやろオーラ」が出ていましたけど、岡田さんは子供の頃「すごいね」と褒められて育ってい る人なので、このタイプではないです。逆に岡田さんの強烈な自己肯定感が、人に「俺ってすごいやろ」と感じさせたのでしょう)

悲しい自分の「心の飢え」が「俺を褒めろ」の「威張る人」を作る。

この事を自覚出来たら、この悲しい歴史も終わる可能性はあります。
威張らないで、褒める。
これだけで周囲の態度は変わります。

実際「お説教」という事をする人は「すごいね貯金」の少ない人が多いです。
「おまえのためだ」という大義に隠れて、説教の多くは、する側の「毒抜き」だし「ストレス解消」です。そして最後は「俺はすごい人間なんだぞ」という話になるのです。

なので、言いたいだけ言っても、説教の効果はありません。
自分が説教される立場になった時の事を考えれば、怒っている人の「説教」を聞きながら考えていることは「繰り返さないためにもちゃんと話を聞こう」ではなく、「早く終わんねえかな」でしょう。
そして、長々と説教を聞かされて、その人を尊敬したり感謝したりするかと言えば、その逆で「めんどくせえヤツ」と思うだけでしょう。

どうしたら「失敗を繰り返す人間」に、問題を理解させて改善させられるのか?
これはもう「話を聞く」ことから始めるしかないでしょう。
「なぜ失敗したのか?」という理由を徹底的に聞いて、それをどうしたいと思っているのかも聞くべきでしょう。
その後で自分もかつて同じような失敗をした話や、具体的なアドバイスをシンプルに伝えるのもいいでしょう。

信頼関係を築いた上で、本人が自分の問題に気が付くような言葉を最小限で伝えることです。
「聞く」が90%「伝える」が10%くらいが1番効果があると思います。

そして何より話を聞いてもらえる「上司」は部下を責めることにエネルギーを使う人より、自分自身が努力してる人でしょう。

最悪なのは、部下のためと言いつつ「俺を尊敬しろ」と自慢してる事の不毛さに気が付かないで、離れていく部下を責めることです。

そんな上司や教師や親を持ってしまった場合は、「この人は褒めてもらえなかったんだな」と、心の中で「同情モード」を入れて、やり過ごしていくしかないでしょう。
問題は幼少期からの長い歴史が生んでいるので、相手は簡単には変わりません。

心に余裕がある時に「すごいですね」と自慢話を聞いてあげれば、最低限の関係は保障されるでしょうけど、「あざとい態度」は簡単にバレるのでやり過ぎにはご注意くださいね。

ちなみに、次回の放送は特集「Bバージン」です。
オタクがモテ男になったら?・・という漫画なので、役に立つ情報が満載です。
当時の裏話も沢山するので、お楽しみに!!!!

第8回「2014年完全分析、 タモリのいない昼に何が起きたか? テレビとジブリの最期の時」

メルマガ発行日 2014/12/22

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

ページトップ