コラム 2017.09.06

【第111号】ショッピングモールの子供はなぜみんな泣き叫んでいるのか?

山田玲司のヤングサンデー 第111号 2016/11/21
ショッピングモールの子供はなぜみんな泣き叫んでいるのか?

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僕の住んでいる所は、近所に国内最大と言われている巨大ショッピングモールの近くだ。
そんなものが出来たらただでさえ経営の危うい近隣の商店街はつぶれまくるし、そもそも何もない田んぼだらけの風景が好きだったのに、止めてくれよ、なんて思っていたけど、出来てしまうとそれはもう予想通り近所の商店街は壊滅的になって駅前の本屋やら何やらも潰れまくりみーんなパチンコ屋になってしまったので、どうにもならない。
始めは抵抗していたけれど、なにしろこの巨大モールには何でもある。
スタバだけでも4箇所、それ以外のカフェが10箇所以上もある。大きな書店が2つ、ビレバン関連店が4箇所、服屋は無限。
映画館から画材屋から歯医者からアウトレットまで、書いててムカついてくるほど何でもある。
建物の端から端まで1キロくらいある。まるで飛行場みたいなのだ。
おまけにモールは雨風しのげる安全地帯で、なにしろカフェの種類が多い。
つまり、なんとなく「ネームを描く」ってこともできる。
くやしいけど今まで使ってきたファミレスはコーヒーが美味しくない。
本当かどうかは知らないけど、某ファミレスのコーヒーは「コーヒーフレーバーの入った偽物」だという話も聞く。
審議のほどはともかく、美味しくないコーヒーを飲み続けるのはつらい。
そんな気分の時に巨大モールにできたカフェで「美味しいコーヒー」に出会ってしまった。
机は広いし、流れている曲も我慢できる範囲だ。
とにかく駅近くのカフェとかは、客の回転率を上げるために居心地の悪い椅子や不安定で小さいテーブルを並べたがるので気に入らない。
でも巨大モールはカフェだらけなので、そんな都心の駅中カフェみたいな「ムカつく戦略」は通用しないのだ。
そんなわけで「お気に入りの場所」を確保して漫画のアイデアやらコラムやらを書いている幸福な期間を過ごしていると、今度は決まって「泣いている子供たち」の声がしてくる。
「泣く」なんてものじゃない。大抵は「絶叫」だ。
特に休日となると「絶叫している子供」を「全力で罵倒しているお母さん」という「地獄絵図」が展開されていて、これがもう「そこらじゅう」で起きているので、いたたまれずに退散することになる。
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とにかく「日本のお母さん」は追い込まれている。
経済的な破綻が起きた後の社会で「周囲の理解がないままの孤独な子育て」や「自分自身の問題を抱えたままの子育て」は苦しくて当然だろう。
子供と一緒に楽しく笑っているお母さんはほとんど見ない。そんな「心の余裕」が持てないほど追い詰められているのが見ていて辛い。
それにしても、本来「楽しい」はずのショッピングモールで「絶叫」「号泣」する子供を見るのもキツい。
まるで大人である自分が責められているような気分になる。
「うわーーーん!! 何でこんな国にしたんだよー!!」
「いやいや、それでも僕は僕なりに頑張ってきたんだよ」
なんて言いたいけど、この国の経済はその実破綻寸前だし、安全な遊び場所も安全な食べ物も簡単には確保できない国になってしまっている。
「他の国に比べれば治安はいいし、インフラは整っている」とも言えるけど、そもそも政府が借金しまくって「整っている感じ」になっているんで、これまた偉そうにはできない。
何しろその借金は「子供たち」が払うのだ。
おまけに「廃炉に何百兆かかる」とか言う事故った原発の金を払えとか。時代遅れの原発を野党までがまさかの「再稼働容認」とか。大学出ても年収が300万を切るとか。まだCO2が増え続けている、とか。野生動物の6割がこの40年の間に死に絶えた、とか。海外では禁止されているヤバすぎる添加物や農薬が普通に認可されてたり。
そりゃあ「絶叫」もしたくなるだろう。
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考え過ぎって?
まあそうなんだけどね。
まあ暗い世相の話はともかく、せっかくの休みに「モールでイライラするだけ」なんて、やっぱりもったいない。
そもそも親の「お楽しみ時間」が少なすぎるのも子供を「絶叫」させてしまうんだろうね。
「ママだって泣きたいよ!」という声にならない叫びが休日のモールには溢れているのを感じる。
とにかく、休日のモールはイライラで満ちている。
おそらくイライラの原因は親の「目的の遂行」が先に立ってしまっているからだと思う。
個人差はあるだろうけど、「私はこれを見る」「ここで安く買う」「この店のこの料理を食べる」なんて、モールでやりたい(遂行したい)ミッションが多すぎるのだろう。
全国区で人気のレストランはいつも信じられないくらいお客が並んでいる。
「せっかくここへ行くんだから全部満喫しないと気がすまない!」なんてやってると、そういうコースは大抵「大渋滞」していてストレスがたまる。
他にも面白そうなモノがいっぱいあるのに「早くしなさい」「並んでなさい」ばっかりじゃ、子供だって「絶叫」したくなるだろう。
「平日の昼に巨大モールをうろつける、地元民のあんたとは違うんだよ」
と言われたら、何も言い返せないんだけど、実のところ「選択肢」はまだまだある。
そもそもスマホなんかで「ここがイチオシ!」みたいに出てくるところが、本当に最高か?というと別に最高なのはそこだけじゃない。
「目的」とか「計画」なんかどうでもいいから好きに楽しもう、なんていう日もあっていいと思う。
最低限必要な買い物だけ済まして、あとはまあ「好奇心」を優先して、好きなとこで好きにやる。
「好きな所に行っていいよ」と言われた子供は、おそらく「うれしい」。そして「絶叫」に向けられてたエネルギーは「何らかの体験」に向けられ「学び」になる。
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その昔この国には「ピクニック」という遊びがあった。
昭和30年代くらいまでは、普通の若い男女がこの「ピクニック」を普通にしていたのだ。
「ピクニック」とは、なんとなく自然のある所に行って「お弁当」を食べる、というのが主なミッションだ。持ち物はせいぜいカメラくらい。イベントもスマホもない場所で、若い男女が「このお花素敵ね」なんてやってたらしい。
僕はある新作の漫画の中で「絨毯」を抱えてお花見に行く女の子を描いた。
安い小さなラグみたいな絨毯でも、野原に敷くとそこはもう「自然の中のリビング」になるのだ。
後はゆっくり流れる雲なんか見ながらミルクティーでもワインでも飲むわけね。
いいよね、こういうの。
「散策」とか「散歩」も同じ種類の楽しみだと思う。大げさなことじゃなくて「軽めの楽しみ」を味わう時間ね。
「カモは寒くないのかねえ」なんてね。
そんなもん「締切に追われている毎日」ではそう味わえない、とも言えるんだけど、ここはまあ柔軟に「少し開いた時間」くらいは誰にでもある。
そんなわけで、「自分の中の子供」が絶叫する前にモールでピクニックするのもいいよね。
では、今週もお釈迦様曰く「苦しいのが人生」の中から、少しの「楽しい」を見つけるピクニックをお楽しみ下さい。
 山田玲司

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企画編集:山田玲司
矢村秋歩
発  行:株式会社タチワニ
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