コラム 2018.06.02

【第163号】「自分」とは何か?

山田玲司のヤングサンデー 第163号 2017/11/27

「自分」とは何か?

 

 

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おことわり:このコラムは、ニコニコチャンネル「山田玲司のヤングサンデー」で配信されているメルマガを全文転載してお送りしています。転載期日が2018年4月下旬以降の号は、テキストのみを抜粋・転載しております。

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何よりも「自慢」は嫌われるのに、人は自慢をしたくなる。

 

少し前に、松本人志がラジオで「宮迫は嫌いやねん」と、話していたのを聞いた。

宮迫の何が嫌いかと言うと、なんだかんだ言って最後は必ず「自分の自慢話」をしたがるからだと言うのだ。

関係ない話を巧妙に繋げつつ、最後には必ず「俺ってすごいんですわ」という話で終わるらしい。

 

彼はいつも「もっと自分を誉めてくれ」と言っているから、それがうっとうしいのだと松本は言っている。

 

なんともありがちな話だけど、この話。宮迫の気持ちもわからなくはない。

どこか自分に自信がなくて、不安を抱えているから「お前はすごいで」と、尊敬する先輩に言ってもらいたいのだと思う。

 

反対に「大先輩」が後輩に「俺ってすごいんやで」と言っているケースも多く見られる。

後輩からすると、そんな時間は苦行でしかないのだけれど、この「大先輩」もまた「自分」の社会的評価に不安を感じていたりするのだと思う。

 

一方で、細野晴臣さんのトークを聞いていると、そういう「自分はすごいんだ」という話はまずもって出てこない。

すごい事をして来たことすら「どうでもいい」か「忘れちゃったんだよ」みたいに言っている。

細野さんのラジオでは何回も、ゲストの人が「細野さんそれすごいことなんですよ!」なんて逆に言っている。

 

こういう人には本当に憧れる。

 

僕はどちらかと言えば、かつては「宮迫側」の人間だったと思う。

「自分」を世間に認めて欲しいし、やたらに自信はあるのだけど、その反面とにかく不安だった。

「自分はすごいんだ」と、自分で言うのはかっこ悪いので、意識して避けるようにしてきたつもりだけど、そんなもの周囲にはバレていたに決まっている。

まあどんな人にでも「自慢の要素」は会話に入っているものだし、「卑屈の要素」よりはマシだとは思うけど、問題はバランスだ。

 

特に自分は優位な立場なんかにいる時は危ない。

そもそも先輩が後輩に(漫画家がアシスタントや編集者に)何かを自慢して「すごいっすね」なんて言われている姿は、とにかくみっともない。

力関係で言わせているだけだから、完全に「裸の王様」だ。

 

後になってジワジワと「なんてみっともない自慢をしていたんだ・・」なんて気がつけばまだ良い方で、いい年していつまでも自慢ばかりしている人も多い。

先輩の自慢話にはうんざりしていたのに、自分が先輩になると同じ事をしている。

 

僕はそんな事に気づいてから、そんな「自慢」を制御するようにしたけれど、これがどうにも難しい。

そんなの当たり前だ。

他者からの「すごいね」は、自分の不安を減らして、気持ちを前向きにしてくれる「魔法」なのだ。

がんばって「結果」が出た時くらいは賞賛されたい。

いいことがあった時なんかも、それを共感して欲しくて周りが見えなくなりがちだ。

 

だからこそ「自慢される側」の気持ちを想像する事は、とにかく重要だ。

彼女ができなくて毎年寂しいクリスマスを耐えてる友人に「自分の恋人がいかに可愛いか」なんて自慢はしてはいけないのだ。

 

女の子の中には「同性の敵が多い人」ってのがいるけど、敵を作っている原因の多くが、この「相手の気持ちを考えないで自慢してる」行為にあると思う。

「彼がくれるプレゼントはいつもセンスがないのよ」なんて愚痴を、彼氏ができたことがない女友達にしている人がいる。

これは敵が増えても仕方ないだろう。「言葉の残酷さ」に気づいてないのだ。

 

どうにも面倒くさい話なんだけど、誰にだって「自慢衝動」はあると思う。

大好きだった有名人から電話がきたりした時なんかは、僕も抑えられなくなる。

仕方ないので、10年位前から僕は「ごめん、自慢させて!」と、先に謝ってから報告していた。

聞き役のアシスタントは、決まって島根出身で人あたりの良い「山田裕太」だった。

彼は些細なことで幸せを感じる才能があって、根に持たないタイプの人だ。

「くそー・・それにくらべて俺なんか・・・」みたいな回路にいかない人なのだ。

今は中国人の彼女と結婚して、その事を漫画で描いているので見て欲しい。

 

それはともかく、この話には続きがある。

僕は「そんな事ばっかり意識しているみっともなさ」にも気づくのだ。

慣れてくると大抵の人は、相手の自慢を聞いてあげた分だけ、自分の自慢を聞いてもらう「バランス感覚」を身につけるものなのだ。

妙齢の女性達が集まると「あなたそれ素敵ねえ~」と言ってから「見てこれ私のも素敵でしょ?」とかやっている。

少女の頃から「私が私が」とやって、何度か地獄を体験した女性達は、その辺の「自慢バランス」を掴んでいるわけだ。

 

要するに「素敵ね」をあげた分は「素敵ね」を言ってもらえる世界だ。

 

それにしても、人はどうしてそこまで「自分」にこだわるのだろう。

たまたま生まれて、自分が付けたわけでもない「名前」をなぜ「すごいもの」にして「忘れないで欲しい」なんて思うのだろう。

 

「名を上げる」とか「名を残す」とか「有名になる」ってのは、そんなに大事な事なのだろうか?

 

「自分のしてきた事」を認めて欲しい、ってのはわかる。

 

でも、自分のしてきた「行為」が本当に誰かを幸せにしたのならば、言わなくても周りがその人を「認めたくなる法則」ってのもある。

 

何気なく食べたコロッケがとてつもなく美味しかったら「これを作った人は誰?」となる、あれだ。

人は何か「いいもの」を受け取った時は「お返し」がしたくなる生き物なのだ。

 

「自慢」は言ってみれば「お返し」の先払いを請求している様な状態で、頑張っているのに「お返し」が来ない時に、ついつい「いいからくれよ!」と言ってしまう行為なのだと思う。

 

この「お返し」というのは、目に見えない時期が案外長い。

命をかけて「世界一のコロッケ」を作っても、お客の声がすぐに届くわけではないし、1個80円のコロッケでは巨万の富は手に入らないし、ミシュランも星を持って来ない。

 

なのでついつい「俺のコロッケはすごいんだ!!」なんて叫びたくなるのだ。

 

それが本当に「ものすごくおいしいコロッケ」であれば、勝手に行列ができたり、取材が来たり、支店のオファーなんかが来る事もある。

 

それまでは、自分が自分に「大丈夫、お前のコロッケは最高だ!」とか、言うしかない。

向かいの「たい焼き屋」に「あんたの作るたい焼きは最高だな」なんて言ってもいい。

大抵は「いやいや、あんたのコロッケも最高だよ」なんて「お返し」がくるので、それを信じて、たいやき屋と一緒にのんびり頑張ればいいのだ。

 

今回のヤンサン美術展で感じたのは、そんな事だった。

ほぼ70人の参加者がいるので、会場には参加アーティストが沢山来ている。

様子を見ていると、作品を出しているみんなが、実に自然に「他の人の昨品」を誉めているのだ。

もちろん、それが100%本気で言ってるかどうかは、その人にしかわからないけど、彼らの昨品は普段は人の目に触れ難いものばかりなので、誉められたら嬉しいに決まっている。

 

そんな「コロッケ屋とたいやき屋」のみんなが作る「いい空気」が素晴らしい。

 

「認め合う」ってのはいい。「何か」を生むのだ。

それは「作品」だけじゃなくて「自信」と「やる気」と「充実感」が生まれる。

 

つきつめれば「自分」なんて、たかだか100年そこらの有効期限の小さな存在だ。

名前なんてのも、単なる記号にすぎない。

最終的には「自分」も「あいつ」も同じようなものなのだ。

どちらも「地球という生命体」の細胞の1つだ。

まずは「あいつのコロッケ」を認めていこう。

 

山田玲司

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企画編集:山田玲司
平野建太
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