【第133号】伝えるためにできること
伝えるためにできること
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久しぶりに暴露しますけどね。
先週の放送の前に僕に「大変なこと」が起きてまして。
まあね、そんな事は実は何度もあって、忙しくてヨガをさぼっていたせいで、体調を崩して、公式放送の前日まで腹痛でのたうち回っていたとか、気合入れて用意した放送の台本を忘れてきたり、履き倒してきたスニーカーのカカトが壊れて、靴に仕込まれてたパーツが足に刺さったまま放送してた事もあるしね。
そんな事はわざわざ言わなくてもいいと思って言わないんだけど(言って面白くなるなら言うけど)
今回のは中々すごいヤツでしてね。
~神が2人~
それは僕の「神様」についての話です。
僕には「神様」と思っている人が何人かいます。もちろん手塚治虫先生も、五味太郎師匠もその1人です。
中でもヤバい神様が、ピカソ、マチス、ブルーナの3人です。
今年になって、その中のブルーナが亡くなってしまい、今銀座では彼のデザインワークをテーマにした展覧会が開かれているのです。
ちょうど絵本が完成したタイミングなので、ぜひ見に行こうと思って、放送の前日に見てきました。
ディック・ブルーナです。「ミッフィー」でお馴染みのオランダの絵本作家さんです。
僕は子供の頃に「ミッフィー」に出会ってから、「理屈を超えて」彼の作品に夢中なのです。
ブルーナはマチスよりも後の時代に生まれていて、最初は本の装丁やイラストを描く「デザイナー」であり「イラストレーター」でした。
それが、自分に子供が出来て、その子のための絵本を作ろうと思ったことがきっかけで、絵本作家になった人です。
僕が、彼のシンプルな作風に惹かれる理由の1つは、ブルーナがマチスにインスパイアされているからでもあります。
有名なマチスの「光の教会」に行って、そのシンプルな力に目覚めた、みたいなことをブルーナは言っているんですけど、僕も同じなのです。
マチスが晩年近くに手掛けたニースの教会は、本当にシンプルなアートワークで統一されていて、キリスト様もマリア様も顔は描いていないのに、不思議な「優しさ」を感じさせるのです。
そのステンドグラスも圧巻です。青と黄色だけのデザインで、気品があるのに親しみやすくて、優しいのです。
僕はその教会で、強く強く「僕もこっちに行きたい」と思ったのです。
そしてブルーナもまた、はるか前に同じ場所で同じことを思った人なのです。
ニコ生では「カルテット」と「桑田佳祐」の話をやる予定で、僕の頭には「桑田佳祐」というもう1人の神様についてずっと考えていた時に、ブルーナ展に行ってしまったわけです。
それはもう「神様が2人」です。メモリーオーバーです。
~自分をどかす~
僕は自分の著作の中で、何度か「自分」ってのをどかすと「相手」が見えてくる、なんて事を書いてきました。
「俺が俺が」ってやっていたら相手の話なんか聞けないし、そもそもそんな人の話なんか聞いてもらえないからです。
クレイジーケンバンド曲で、「タイガー&ドラゴン」ってのがありますが、その歌詞に「俺の話を聞け、5分だけでもいい」ってのがありますよね。
この曲の中の「俺」は、自分の話を聞いてもらえないようです。5分も聞いてもらえない。
これはリアルな歌詞です。
人の話を聞かず、自分のやり方を押し付ける「俺が俺が」の人は、5分も話を聞いてもらえなくなるって事が伝わってきます。
僕もこういう人がいたら「なるべく早く帰ろう」と思うでしょう。
それくらい「自分」を押し付ける事は「虚しい行為」なのです。
でも、やっぱり自分をわかってもらいたいのが人間です。僕もそうです。
なので、とりあえず「あなたのための時間」と「自分のための時間」を行ったり来たりするのです。
桑田佳祐の派手なデビューの直後に生まれた名曲「いとしのエリー」では、「あなたのため」の曲を歌っています。「笑ってよ」と、好きな人に向かって愛を与えているのです。
でも、その後に過度のストレスに苦しんだ桑田さんは「ビッグスターブルース」という曲で、スターに祭り上げられた自分の苦悩を歌い出すのです。
そしてこれが、その時点でのサザンの曲で、最低の売り上げになるのです。
それでも彼は自分の中の「自分」を、ソロや好きな洋楽のカバーバンドをすることで、再び押さえ込んで「みんなのうた」という歌で見事に復活します。
桑田はその曲の中で「君よあるがまま」と、「相手を全面的に受け入れる覚悟」を示しています。
その後は、ソロアルバムその他の活動で「自分」を出すことで、押し付けがましい「俺俺病」を克服していったのです。
~ブルーナの中の「自分」~
そんな桑田の「俺問題」を思索しつつ、ブルーナの作品を見ました。
恐ろしいことが起きてました。
ブルーナの作品は全て「押し付けていない」のに、すべてが「ブルーナ」なのです。
かなり初期の段階から彼は、作品の中のノイズ(自意識)を排除していて、その画面には「余計なもの」がないのです。
彼の絵本は「正方形の絵本」「12ページ」「1ページに4行の言葉」のスタイルで統一されています。
ブルーナは言うのです。
「親が子供に読み聞かせしてあげて、子供が眠りにつく前に少しでも幸せを感じてくれたらいいと思って絵本を作っている」って。
そのために、表紙も内容も全て自分1人で作る、なんて言ってる。
やっぱり「神」だ。
僕はすぐに猛反省した。
なぜなら、今回の絵本の表紙に数か所「もう1つだな」と思う部分があったからです。
でもそれはデザイナーさんのやった仕事で、編集の人も「それで行こう」と言っている部分でした。
「売り」のことを考えると、それはそれでいいのかも、と思える部分でした。
なので、僕はそこで「自分」を抑えて、デザイナーさんの判断にゆだねていたのです。
でも待て!そこは「自分」を抑えるってのとは違う話です。色々混乱してる。
僕は読者に(主に子供たち)に、自分のイメージを与えて「幸せにする」のが目的。
どうしよう、何しろ絵本は入稿(印刷)直前。今から直すと発売日が伸びてしまって、これまた色々な人に迷惑がかかるかもしれない。
僕は銀座の歩道で考え込んで、すぐに担当編集に電話した。
「修正したいんだけど、明日の朝ならまだ間にあうかな?」
「ギリギリ大丈夫です」と、担当さんは言ってくれた。
そんなわけで、急いで仕事場に引き返して表紙の1部を1から描き直して、翌日の朝、ギリギリで入稿したってわけで、それが水曜日、放送の日だったんですね。
~伝えるためのシンプル~
ブルーナを見てて思ったのは、社会がどんどん殺伐としてきて、みんなが心に余裕を失っている時こそ、シンプルな表現は強いってことでした。
僕はすぐにそれを伝える方法を考えました。
それがこれです。
これは「自分でいっぱいになっていると、誰も愛せない」ということを伝えるためのイラストです。
始めはこれに
「僕でいっぱいの舟、君も乗れる舟」って言葉をのせてみた。
でもこれもなんか「押し付け感」がある気がする。
なので「愛されたいなら舟は大きく」ってのにしてみた。
悪くない。でもこれも、押し付け感はある。
でも伝わる。悪くはない。
なんだか、ここへきて色々なことの「回答」が見えてきている。
しかも、そのほとんどが、はるか前に気がついていたことばかりだ。
おそらく僕の到達するべき所は「禅画」なのだろう。
そんなわけで、迷った時は、先人と語ろう。
死んでから「語って貰える死者」をめざそう。
では、それぞれの「黄金週間」をお楽しみ下さい。
山田玲司
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保田壮一
Written by
市川 剛史
どすこい喫茶ジュテーム