コラム 2017.05.24
【第9号】夢を見るのはバカのすることか?
「夢は叶うんですか? 現実は厳しいんですよ?」みたいな話は子供の頃からさんざん聞かされてきました。
僕の高校時代は「バブル前夜」で国中が何か「わくわく」していて、「みんな頑張れば夢は叶うよ!」みたいな空気が一杯でした。
僕は「全員が無条件に夢を叶えられるわけないじゃん」「そもそもお前ら何も挑戦してないじゃん」なんてイラついてて、そんな調子のいい夢を見てる連中が大嫌いでした。
ともかくバブル時代は「景気がいいから何もしなくても何とかなるんじゃん?」みたいな時代だったのです。
最近は不景気で(子供じみた夢にお金が回らないので)、余計に「夢なんか叶うわけない」という雰囲気が優勢に感じます。
「私は将来○○になります!」みたいに夢を語ると、いまだに「ゆとり」か「中2病」とか言う人がいて、おなじみの冷笑で、前向きな若者が気の毒でたまりません。
言っている事は同じでも景気次第で言うことを変えるのだから、人間の発言なんてあてにはなりませんよね。
若いころ「俺はビッグになる」みたいに思っていて、たいした挑戦も努力もしなかった人ほど「社会は甘くない」と言うのは昔からです。
その上、職場できつい目にあわされてる気の毒な人が「夢なんか叶わねえよ派」になっているのだと思う。
その上、職場できつい目にあわされてる気の毒な人が「夢なんか叶わねえよ派」になっているのだと思う。
自分の夢に対して、努力も挑戦もしないで、他人に「現実見ろよ」とか言っている人は無視すればいいんですけど、それなりに努力も挑戦もしてきた人が「夢なんか見るもんじゃないよ」とか言っているとしたらちょっと切ない。
でも本当にそんな人いるのだろうか?
「夢なんか見るな」という人は、できる限りの努力もしないかった「負け犬」なのだろうか?
限界まで夢を追いかけて努力と挑戦をしてきた人は、若者に「夢なんか見るな」と言うのだろうか?
僕の取材経験で言うと、本気で自分の夢に向けて努力と挑戦を続けてきた人ほど「夢は叶う」と言うし、「叶わなくても自分もやりたい事をしなよ」と言っていた。
「そんなもの奇跡的に夢が叶った人だから言ってんだろ?」
と言う人もいるかもしれない。
確かにそうかもしれないけど、僕は夢を追いかけてきた人は、初めから諦めて「やらないことの言い訳を言う事」に努力をしてきた人とは「違うもの」を得たのだと思う。
「こうなりたい」と進んでいくと沢山の挫折と少しの「嬉しいこと」が待っている。
失敗を繰り返すと「新しい道」が見つかる。そんなこんなで挑戦する前には想像もしてなかった「何か」に出会ったりする。
もちろん「頑張ってる人」には応援する人も増えるし、出会いもチャンスも多くなるのだ。
そんなこんなで人生そのものが豊かになる。
僕が取材してきた「世間で言う成功者」の人たちは、たとえ当初の夢が叶わなくても「自分の夢」に挑戦してみたら「幸せで充実した人生」になることが多くなるのを知っているのです。
夢を追う人生で大切なのは「試行錯誤」と「感謝」だろう。
そして、もう1つ大切なのは「アップデート」だと思う。
特に「あの人みたいになりたい」とか「とにかく大金持ちになりたい」とかいう初期設定は人生の自由な航海を邪魔することが多い。
「なりゆき」と「その時の自分」を大切にしてもいいと思うのです。
離れるべき「どうせ人間」
「どうせ」と言う女はモテない、と漫画で描いたけど、「どうせ」を連発する人にはならないほうがいいし、夢を追うなら「どうせ人間」からは距離をとったほうがいいでしょう。
安全なサンゴ硝から出られない「ニモのお父さん」や「湯ばあばに監禁されてる巨大な赤子」みたいに「外は怖い」「どうせ傷つく」と思っている人は今の自分を守るために他者に幸せな冒険をして欲しくないわけです。
もちろん「目標とか欲望なんか持たずに日々感謝して生きればいい」というのもよーくわかります。
でも人間の持っている「何かを求めて生きたい」という性質を封じ込めるのは不自然ですし、その挑戦の連続がこの世界を面白くしていくのだと思うのわけです。
始めの夢の形は変わっても「どうせ」人間にはならないで欲しいものです。
メルマガ発行日 2014/11/24
Written by
市川 剛史
どすこい喫茶ジュテーム