【第207号】少年漫画は「バカ」が読むものか?
少年漫画は「バカ」が読むものか?
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おことわり:このコラムは、ニコニコチャンネル「山田玲司のヤングサンデー」で配信されているメルマガを全文転載してお送りしています。転載期日が2018年4月下旬以降の号は、テキストのみを抜粋・転載しております。
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そんなわけで、先週の放送は東村アキコ先生を招いての漫画プレゼン対決でした。
普段から「少女漫画は少年漫画より頭がいい」と言っているアッコに、少年漫画で育った我らがヤンサン男子(おっさん)チームが「少年漫画の方がいい!」と、戦う企画です。
僕はどちらでもないので今回は司会で、最後にまとめを言って終わる予定でした。
なので、ここしばらくは「少年漫画と少女漫画の本質」について考えてた。
ここでそれを少し並べてみます。
少年漫画の基本構造(テンプレ)はこんな感じ。
・弱いものが強くなる話(はじめの一歩)(僕のヒーローアカデミア)
・強いものがずっと強い話(刃牙)(ドラゴンボール)
・何かを捜している話(ワンピース)(どろろ)
・ずっと喧嘩してる話(ジョジョ)(スポ根全般)
・戦う 勝つ 仲間になる(Jテンプレ)(RPG系)
これ系の物語の解決方法のほとんどが暴力による解決(のバリエーション)で、つまり・・
「やっつける」のが少年漫画と言えるだろう。
もう1つは「子供の楽園」としての少年漫画がある。
・終わらない夏休みの話(マカロニほうれん荘)(ポケモン)
などで、これには広義で「こち亀」なんかもそれに入ると思う。
そして、少女漫画マナー基本構造がこちら。
・冴えない毎日が満たされる話(基本中の基本)
・(ハイスペ)男に(自分自身を)見つけてもらう話(シンデレラ系)
・男(社会)に自分を認めさせる話(悪女)(働きマン)(花より男子)
乱暴な言い方をしてしまうと、「男に救われる」と「男を負かす」の2つが主流で・・
そんな単純化された漫画業界に意義を唱えた「インテリ文学少女たち」と「現場で生々しいリアルな恋愛を体験してきた女性たち」による革命が少女漫画を豊かな表現の場にしていったわけです。
そうは言っても。あくまで主流の思想は「待ってれば大丈夫」なので、ここが色々と問題を生んでいるのも事実でしょう。
それにしてもです。
「戦って勝つ」で止まっている世界
「待っていれば大丈夫」で止まっている世界
どちらの思想も今の時代には向いていない。
「勝つ」思想は19世紀西洋近代思想で、幕末で止まってる。
「待っている女」ってのも実に「昔」っぽい。
そんな明治的な思想を抱えた子供向け漫画を改革しようとあがいてきた歴史もあるけど、まあ、今もたいして変わらない。
「それが子供時代なんすよ!」なんてのもわからないでもないけど、子供時代ってのは実は単純ではない。
「ちびまる子」のすごいところは「その複雑さ」を鋭く(優しく)(意地悪に)描いている所だと思う。
(スヌーピーの出ている『Peanut』も同じだろう)
放送でも少し話したけど、作者のさくらももこさんはデビュー当時、いわゆる「少女漫画テンプレ」を描けと言われて、漫画を挫折しかかっている。
さくらももこさんもまた、売れた漫画が編集者に刷り込む「テンプレ」(固定観念)と戦ってきた漫画家なのだ。
さて。
熱く漫画を語ってきたものの。
雑誌文化も終わりに向かい、いよいよ漫画を発表する場所がなくなってきている。
漫画がある時代の「流行」で終わってしまう。
それも仕方ないと言う人もいるかもしれない。
でも僕は思う。
「個人が世界を作る」というメディアは無くなってはならない。
そうしないと「みんな」とか「社会」とか言った「不安定な空気」に世の中が支配されて、人の考えは「一色」になってしまう。
漫画は「変なやつ」の頭の中だ。
漫画は「違う色を気づかせてくれる装置」だ。
終わらせるものか。
そういえばこの日の昼には手塚るみ子さんと「手塚治虫」の話を2時間もしていた。
そうだよ治虫。
終わらせてなるものか。
山田玲司
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平野建太
Written by
ナオキ
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