コラム 2017.06.03

【第17号】「誰かを傷つける言葉」は使ってはいけないのか?

今回、新しく始まる連載漫画作品には、何だかんだの打ち合わせを経て、すでにタイトルが決まっておりました。
放送で何回も言っていた「メンヘラブートキャンプ」です。

 

このタイトルは、去年の夏くらいに唐突に「メンヘラっていう言葉から1番遠い言葉はブートキャンプだな」と思いついて「メンヘラブートキャンプ」と書いてみるとなかなか新鮮だったので、何かと使っていたのです。

 

新作漫画のアイデアは「心療内科版のブラックジャック」だったので、このタイトルにするのもいいんじゃないかと思っていました。何しろ「響き」が新鮮です。誰に聞いても笑ってくれるし、評判もいい。
ネットの世界ではパッと見で興味を持ってもらってクリックしてもらう必要があるので、その点でもかなりいいだろうという計算がありました。
とはいえ、当初から引っかかっていた問題がありました。
それは「メンヘラ」という言葉が精神の病で苦しんでいる人を侮蔑的に表している言葉だという指摘です。

 

僕は自分自身がちょっとしたメンヘラで、心療内科のお世話になっていた「当事者」なので、むしろ「ブートキャンプ」みたいなノリで「心の病」を笑い飛ばしてもらいたいという思いがありました。なので「メンヘラ」という言葉の使用は僕にとってはむしろ「良い意味」だったし、すでに「メンへラちゃん」という漫画も存在して単行本も出ています。

 

とはいえ「心の病」で苦しんでいる人のすべてが僕と同じ思いとは限りません。

 

「お前なんかメンヘラじゃねえか」と言われて傷ついた経験が心に残っている人もいるかもしれません。
そうなるとインパクトがあるとかいう理由では通じないとのこと。
とにかくタイトルは別の案を出すことにしました。

 

僕は大手の出版社で仕事をさせてもらってきたことが多いので、こういう事は日常茶飯事でやってきました。
サブタイトルで「サイコパス」というのを書いたら、止められたこともありました。(それが後にアニメ作品のタイトルに普通に使われていたりして、なんともいえない事も多い世界です)

 

この件はいわいる「言葉狩り」「過剰な自主規制」「クレーム対策」みたいな問題です。
「表現の自由」と「人権」の対立の話でもあるし、「表現の本質をないがしろにして役人的対応をしてやり過ごすか?」「社会を変えるために戦うか?」みたいな話でもあります。

 

僕もかつては「本当の意味で傷つくってのは無視じゃないのか? 実際に使用されていいて、それに傷ついている人がいるなら、それを無い事にして物語を作ることは、当事者にとってかえって酷い行為なんじゃないか?」なんて言ってジタバタしていました。

 

この問題で表現の自由を守るために戦うのも大事な事だと思います。でも、その効果は空しいものです。
戦うことでエネルギーを消耗してしまって、本来の創作行為に影響する事もあります。
「表現の自由」を獲得する戦いだけをしていたら、人生は摩耗してしまい新作も出せなくなっていきます。

 

どっちにしても「言葉狩り」「クレーム対策」などの「言えない空気」が増大していくこの国では、そもそも「心の病」を扱った漫画を(自由には)描けないのです。
「誰かを傷つける言葉を使うな」という問題は、実は当事者の問題というより経済的、文化的に行き詰った中で出てきた「正義原理主義」の台頭で、「良い子」を量産して幸福の本質をないがしろにしてきた先に生まれた「何かしらの怪物」なのだと思うのです。
誤字を過剰に笑ったり、少しでも過激な事を言って目立つと叩くのもこの傾向から生まれていると思います。

 

単純に言えば「資本主義の末期、いい子の狂乱」でしょう。

 

この状況は長引くでしょう。ましてや個人の力で変えられるほど甘いものではありません。

 

ではこの「自由に描けない空気」の中で表現をするにはどうしたらいいか?

 

今回僕はメンヘラという言葉を封印して「憂鬱」という言葉を用いることに決めました。
病名ではない「憂鬱な心」です。英語にすると、僕の命を救ってくれた「ブルーハーツ」というバンドの名前になります。

 

ちょうど盟友の志磨遼平が「スーパースーパーサッド」という名曲を書いていたので、それも加えて、「スーパースーパーブルーハーツ」というタイトルにしました。

 

「超超憂鬱」という意味です。

 

誰にでもある「どうしようもなく憂鬱な気分」の事です。
この言葉には差別も偏見もありません。
でも、これなら僕が描きたかった「心が苦しくて助けを待ってる人のための漫画」が描けるのです。

 

色々議論はあるけれど、伝えていくために必要なのはアイデアです。
誰も敵にしないアイデアを探すだけです。

 

もう1つは「批判してくる人達と一緒に作る」という方法です。
かつて僕はアガペイズという漫画で「ホモ」というセリフを使用しないと彼ら「心を痛めている同性愛者」の心が描けないので、実際に同性愛差別と闘っている団体の方と会って、話をして、協力体制を作って、一緒に漫画を作ることにしました。
初めから「敵対」するのを止めたのです。

 

アイデア誠意。

 

その2つでこの時代の空気と戦うのです。

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山田玲司

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