コラム 2017.09.19
【第124号】「食えてない人」ばかりの音楽、絵画、漫画、の作り手になるのを勧めるのは罪か?
山田玲司のヤングサンデー 第124号 2017/2/27
「食えてない人」ばかりの音楽、絵画、漫画、の作り手になるのを勧めるのは罪か?
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「漫画家になって成功する人の割合は信じられない程少ない」
漫画家を目指す2人の若者を描いた「バクマン」は、こんなシーンで始まる。
しかもご丁寧に実際のデータ(みたいなもの)まで並べて、「漫画家になるのは奇跡みたいなものだ」なんて読者にぶつけてくる。
でも物語が始まると、案外すぐに主人公たちはデビュー出来るし、大ヒットを飛ばしている「天才漫画家」は友人になるし、アシスタントからデビューしていく人や、変人のギャグ漫画家や、崖っぷちのベテラン漫画家も含めて、「何とかやれている人達」が次から次へと出てくる。
なので、読者はそれが「とんでもない奇跡」だということを忘れて「僕にも出来るかも」と思って読めるようにできている。少年漫画としては実に正しい「バクマン」だし、実際漫画家になった僕の人生もこんな感じだった。
とはいえ、この漫画の冒頭で出てきた「漫画業界のシビアな現実」は、連載当時より更に「深刻度」を増しています。
なので、いくら漫画家になりたくて頑張っていても、かつてより「報われないこと」が多いわけです。
今週は久々の「Cバージン」で、漫画の描き方を楽しくレクチャーしてたんだけど、心の中でどこか「こんな漫画産業没落の時代に安易に漫画を描くことを勧めていいんだろうか?」なんて思ってもいました。
例えるなら、化石燃料の時代が終わり、自然エネルギーにシフトせざるを得ない時期に差し掛かっているのがわかっていて、まだ「油田を掘ろう」なんて言っている、かつての石油王みたいな感じです。
しかも多くの油田は枯渇していて、かつての様なビッグチャンスなんかないのがわかっているのです。
「僕がやっているのはそんな事と同じ様なものじゃないか?」なんて悩むのも当然の「深刻な漫画業界」です。
それでも、漫画という表現は素晴らしく、先代の開いてくれた「漫画文化」の豊かさは他国にない「財産」です。
自分も含めて、「その火を消してなるものか!」と多くの人が思っているし、「それでも、その世界に飛び込みたいんです!」なんて、リスク承知で挑んでくる人に「今は止めときな」なんて言えるわけがないんです。
なんなら「全力で応援」したいんです。
〜美大、音大、専門学校の罪〜
そんな葛藤を抱えながら、懲りずに「漫画の描き方」なんてのをやっていたんですが、ある「漫画専門学校系」の先生の人が、それと同じような悩みをネットに上げていまして。
そこには「漫画雑誌が次々に消えていく」「単行本も売れない」「かつての漫画好きの漫画から離れようとしている」という現実が書かれていて、「そんな時代に漫画を教える事は正しいのか?」という、漫画を教える側にいる人間の「生々しい苦悩」が書いてあって、とても誠意のある良い記事でした。
その先生は何人かの現場の先生に意見を聞いて、その中の1人が言っているこんな話を支持しています。
それは「美大や音大に行っても、美術や音楽の仕事で食っていける人は少ないけど、それは文学部の人が文学の仕事に着くとは限らないのと同じで、無駄な事ではない。たとえ芸術系の仕事に着けなくても、それらを学んだ事が人生を豊かにする」みたいな話でした。
確かにそうです。そういう側面もあるんです。でも何か納得できない気持ちも残る。
だって本当は「漫画家(送り手)になりたい」と思っているから努力してるんだもんね。
実はこの話、美大・音大なんかに行った人がみんな経験する「モヤモヤ」です。
美大・音大は、入るのも大変だし、お金も容赦なくかかる割にそういう夢を叶えられる人は本当に少ない場所です。
僕の友人にも美大を出て、まったく美術に関係のない仕事をしている人がかなりいます。
絵が描きたくて美大に入ったのに、画家にはなれない。
音楽がやりたくて音大に入ったのに、音楽家にはなれない。
なれる人もいるけど、それはごく少数で、「なれない人」の方が「普通です」って感じの世界。
ええーー!それじゃあ芸術系の学校に行った人は「アートの夢を追っていた思い出」を作るために苦労して美大・音大に入ったの?!
なんて思うのも仕方ないだろう。
確かに油絵とか日本画なんかの世界は、すでにその業界自体「過去のもの」になっているので、そこに入学する人は初めから「一生油絵で食っていきます」なんて考えの人は少数派で、そこで身につけた基礎教養や技術や人脈を使って「絵画に関わる人生を送りたい」くらいに思っている人も多いです。
それでも何割かの人は、憧れの芸術家を思って「自分だけは絵画、音楽だけで生きていく」なんて、信じて頑張るのです。
僕もずっとそういうタイプの人間で、今でもそういう「本気のヤツ」が大好きなのです。
入学前は「この大学に入りさえすれば・・」なんて思って大金払って入ったのに、最後になって「これも無駄じゃないと思うよ」なんて言われても納得いかねえよ!ってのもわかるんだよね。
この話は僕の学生時代以前からよく言われていた「美大・音大の罪」問題ってやつです。
その話は、モヤモヤするものの、そこは大学なので「芸術」という学問を教養として身につけたのならそれで良しとせよ、と言われれば納得できなくもない。
ところが、僕は「みんな漫画家になろうぜ!お前ならやれるぜ!」みたいな言い方をしてしまいがちだ。
これも無責任な話に見えるし、専門学校ってのも微妙な存在だ。
大学と違って「学問の研究」というより「その職に就くための具体的な技術を習得する場所」であるため、どうしてもそのゴールは「漫画家になること」になるわけです。
そうなると、漫画の仕事が消えていく時代には「無責任な商売」だと言われるのもわかる。
何しろ漫画を掲載してくれる場所が少ない上に、単行本も売れないじゃ、漫画家になりようにもなれないのが普通になってる時代なのだ。
〜漫画を描くことに希望はあるのか?〜
そんなわけで現実的なな話をしますけど、そもそも「アートだけで食っていく」なんて夢は「学校へ行けば叶う」なんて呑気な夢じゃないのです。
「この学校に行けばなんとかなる」なんて期待している時点で「思考停止」は始まっているんですよね。
そして、いつの時代も「夢に敗れる人」は沢山います。
でもその「夢」ってのも、その時期に憧れただけの「ブーム」に過ぎなかったりして、ジタバタしていくうちに「これこそ私の人生を賭けてやるべきことだ!」なんて別の夢が見つかったりするものなんです。
そんなわけで「夢だの現実だの」の話の落とし所は、いつも「やれるだけの事はやったほうがいい」とか「そういう挑戦が自分を強く豊かにした」とかいう「いつものヤツ」になるわけです。
もう1つ、漫画業界を俯瞰してみると「紙媒体」から「デジタルコンテンツ」へ移行しているだけだとも言えます。
絵とセリフでイメージを瞬時に伝えられる「漫画」という表現は、ネットの時代にはむしろ「有利」で、この移行期が過ぎたら、新たに漫画の黄金期が来る可能性もあります。
ネットの可能性は海外で言うと「ヤングアダルト小説」というジャンルが大ブレイクしていて、日本の漫画も海外向け仕様にした時、希望は大いにあると思う。
でも、僕が一番「漫画を描いたほうが良い」と思う理由は別にあります。
それは、漫画は脚本からカメラ、役者、監督など全てを自分がこなして作る「世界を作る仕事」であることと、その世界で生まれる「何か」で他者を幸せにする仕事でもあるからです。
こんな(漫画を作るという)行為が無駄になるわけがないのです。
全ての目的は「商業的に大成功すること」ではないのです。
「大金持ちになる」のが漫画を描く目的なら、それは不可能だと思うので、別の仕事を探したほうがいいでしょう。
漫画を描く事のメリットはまだあります。
それは自分の中の「何か」を形にすることで、何かが解放される、という事です。
もしも自分の漫画が、少しでも誰かを喜ばせることが出来たらそれは「自分自身」の救いになるわけです。
はっきり言ってしまうと、「漫画を描く」という行為は、自分の苦しみや喜びや怒りが、誰かを幸せにすることを「体験」することなのです。
実はこれって、料理を作って誰かに振る舞うのも、曲を演奏するのも、バカな体験を話して笑ってもらうことなんかと同じ種類の「幸せな行為」なんですよね。
「ブレイクしたらお金がもらえる」なんて話とは別のモノです。
そんなわけで漫画は「幸せを贈る仕事」です。
ほとんどの仕事と同じなんです。
それでは今週も頑張ってね!
山田玲司
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企画編集:山田玲司
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Written by
市川 剛史
どすこい喫茶ジュテーム