コラム 2018.06.15

【第166号】評論家を評論すると見えてくるものとは?

山田玲司のヤングサンデー 第166号 2017/12/18

評論家を評論すると見えてくるものとは?

 

 

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おことわり:このコラムは、ニコニコチャンネル「山田玲司のヤングサンデー」で配信されているメルマガを全文転載してお送りしています。転載期日が2018年4月下旬以降の号は、テキストのみを抜粋・転載しております。

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「映画を観に行く楽しみ」とは何だろう。

改めて考えてみると、わざわざ映画館まで行って、1800円も出して、一次停止も私語も許されない空間にわざわざ約2時間もいるのは、やはり「特別な何か」を体験できるからだろう。

 

1人で行く映画も気楽でいいけれど、やはり映画鑑賞の醍醐味は「誰か」と一緒に行くことだと思う。

観た後に膨れ上がった「どうしたらいいかわからない気持ち」をお互いにぶつけ合って盛り上がるのはやっぱり楽しい。

 

それが期待を裏切った「最低の映画」でも「あれはひでえな」と言って一緒に笑えば、そこそこ「モト」は取れるし、自分の気が付かなかった部分を指摘されて「実は案外いい映画かも」なんてことになるのもいい。

 

好きな人と一緒の映画鑑賞もいいけど、映画に詳しい人との映画鑑賞もまた格別だ。

同じ映画を見ても、その背景や演出の工夫、関連作品の話などだけでも「得した気分」になれる。

 

やっぱり「詳しい人」がいると同じ体験でも、より深く味わえるもので、そこに「映画評論家」のニーズがあるわけだ。

 

最近特に「映画評論家」なるものがもてはやされている裏には、人々の好みが細分化して「みんなで観る映画」が少なくなったのと、ネット環境の変化により「過去の映画」が気楽に観ることができる時代になったからかもしれない。

 

「その時代」に乗り遅れても、後からは観られる。

そうなると、同時に「解説や分析」も欲しくなる。

 

外食先で美味しい料理に出会った時に、そのメニューのレシピを知りたいと思う人がいるように、映画も「この映画はいったいどんな人がどうやって作ったのだろう?」なんて思うタイプの人が一定数いるのだと思う。

「そんなもん、ただ観て感じるだけでいいんだよ」と言う人もいるけど、それじゃ面白くないのだ。

 

「恋した相手のことを徹底的に知りたい」みたいな気分にも似ているのかもしれない。

 

映画評論家になってしまうような人は、溢れる恋心を抑えきれずに、自分でその情報集めや分析をしてしまうタイプの人だろう。

 

 

そんなわけで、今週ほ公式放送のネタが暗めなので、何か面白い企画はできないか、と思って考えたのが「映画評論家を評論してみよう」という企画だった。

 

普段誰かの作った作品を評価している人を、逆に評価してやる、という企画なので、これは面白くなるに決まってる。

 

ところがである。

この企画、考えてみるほどに難しい企画であることがわかった。

僕は各評論家の「メソッド」を分析するつもりだったのだけれど、それを伝えるためには、どうしても「その人が抱えているモノの歴史」を語らなければ伝わらないのだ。

 

そしてわかったのが、それぞれの評論家の人が「越えてきたもの」の大きさと「複雑さ」だった。

 

映画評論家という存在は、映画が大好きではあるけれど、基本的に自分は「作り手」ではない。

「外野」のポジションから「作り手のハードで生々しい試行錯誤の人生」を見ている。

そんな「自分」というものを、否が応でもにも感じることになるからだ。

 

もちろん、それぞれの人が「映画以外の表現や仕事」をしてはいるけれど、僕を含めて「映画の現場」で生きてきたわけではない。

 

つまり、映画を作っていない人にとっての「映画評論」は、宿命的に「永遠の片想い」の世界なのだ。

 

 

とはいえ、聞き手側からすれば、そんな「複雑な心情」なんか関係ない。

映画をより深く味わえる話や、観たことのない映画を観たいと思わせてくれるような話が聞きたいだけなのだ。

 

そんなわけで、人気のある映画評論家は、多くの場合「自分の事もを認めてくれ」と言う気持ちを押し殺して映画を語っている。

なので、彼らの多くは「スノビズム」を感じさせないのだ。

 

映画評論は、自分が観た映画の中に「何かしらの宝」を発見する仕事でもある。

そして「自分」のことよりも、その「宝」を届けることを優先しなくてはいけない。

これはかなりしんどい。

誰よりも強い「自分」を抱えながら「誰かの映画を語る」というのは、漫画家や映画監督が、自作について聞かれて語っているのとは違う「苦しさ」があるはずなのだ。

 

評論家の事を考えていたらそんな事に気づいて、何か切なくなってしまい、全面的に「評論家を褒める」という放送になってしまった。

 

しかし「この話」

例のごとく「恋愛の話」にもつながっている。

 

幸福な恋愛ができる人の多くが「自分の凄さ、賢さ」なんかをアピールしないのだ。

自分の事より、まずは「相手を認める」人が幸せになっている。

 

それは簡単な様で、難しいことなのだ。

 

山田玲司

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企画編集:山田玲司
平野建太
発  行:合同会社Tetragon
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