【第165号】「聖なるもの」は、どこにいる?
「聖なるもの」は、どこにいる?
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おことわり:このコラムは、ニコニコチャンネル「山田玲司のヤングサンデー」で配信されているメルマガを全文転載してお送りしています。転載期日が2018年4月下旬以降の号は、テキストのみを抜粋・転載しております。
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今更言うのも野暮だけど、いよいよ「地上波の番組」をみるのが困難になってきた。
メインパーソナリティーがマツコ・デラックスだったりすると、ギリギリその「テレビの虚構」やら「傲慢さ」や「思考停止」なんかを、マツコ本人が許そうとしないので、まだ見られるものの、情報バラエティとかはさすがにキツい。
特に「もう無理」だと思う部分は、人の紹介の時の「お約束」だ。
地上波で誰かを紹介する時には、決まってその人事を「学歴」や「受賞歴」や「売り上げ」なんかとセットで紹介する「アレ」。
学歴も特に普通な場合は紹介されず、東大やらハーバードだと絶対にその「学歴」は紹介される。
わかりやすく、その人の「価値」を紹介するのが目的なのだろうけど、人間の価値はそんなもので表せられるものじゃない。
そこで頭に浮かぶのは「あそこの家の長男は〇〇高校なんですって、すごいわよねえ」みたいに、他人の子供を競走馬みたいにランク付けしていた近所のおばさんたちだ。
僕の高校は地元でも有名な「バカ高校」だったので、その差別的な目線にはうんざりしていた。
僕がどんなに「宇宙や芸術や哲学のこと」を考えていても、行っている学校だけで「バカ」だと言われていたのだ。
親も含めてみんなが「そのノリ」で子供を評価するので、もはや地元社会に居場所なんかない。
様々なコンテンツで、「人の価値は学歴や売り上げなんかではない」とか、さんざん言われてきたのに、地上波ではあいかわらず「コレ」をやっている。
1番キツいのは「暗記が得意な天才少年」とか「ショパンコンクールで優勝した天才少女」とかの話。
彼らを讃えている空気は、意味なく「競争の場」に狩り出されて、努力のあげく敗北を味わう「多くの子供」を生んでいるのだ。
魔法少女まどか☆マギカは、まさに「この種の悲劇」を描いたアニメだった。
興味深いのはこのアニメの脚本をしている人が「エロゲ」の出身だということだ。
まどマギの解説を始めてから、何人もの人が、その「エロゲ」の話を僕にしてくれた。
どうも今回の放送で、僕がエロゲに否定的だと感じさせてしまった部分があったみたいだけど、知らないだけで否定なんかしてないし、ましてや「メジャーなアニメ業界」よりも下に見ている意識なんかはまったくない。
なぜなら僕自身が「水着の女の子」が表紙の「エロが売りの青年漫画誌」を活動の場にしてきた人間なのだ。
エロが多めの「青年誌ラブコメ」は、「PCのエロゲ」とそんなに変わらないと思う。
なので「エロゲ出身」というキャリアには、無言の「仲間意識」を感じてしまうのだ。
こういう、看板に「エロ」の入るメディアは昔から「自由」があったりもする。
有名なのは6,70年代の日活ロマンポルノやATGだ。
そこでは「エロ」さえ欠かさなければ、自分の表現を許される空気があり、そこから多くの映像作家が排出されていった。
そして、僕のいた「ヤングサンデー」もまた「エロ」が多く、世間の風当たりが特に激しい媒体だった。
もちろん「売れるためのエロ」でしかない漫画もあったけど、中には「エロ」をまとった「純度の高い表現」を挑んでいた漫画も多かった。
僕はそのヤングサンデーという雑誌に拾われて、望まれた「パンチラ」を描きつつ「本当に伝えたいこと」を描かせてもらっていたのだ。
これはまさに「エロゲ」を表現の場に選んだクリエイター達と同じだと思う。
「聖なるもの」は、こういう「世間に侮蔑されるような世界」にもあるのだ。
ヤンサンは何度も「有害図書指定」を食らい「回収処分」にもあってきたけど、決して権威主義に走らず、「報われない者たちの本音」を伝えてきた。
僕はそんなヤンサンが好きだった。
その雑誌の漫画家は「学歴」も「受賞歴」も問われない。
ドキドキさせてくれる「何か」があればそれで良かった。
「本当のサブカルチャー」の雰囲気があったのだ。
僕の番組の名前が「山田玲司のヤングサンデー」なのはこれが理由なのだ。
世間から見れば、そこは「日の当たらない世界」で、親や親戚にもバカにされつつ、その多くが報われない「悲しみ」になる場所だった。
でも、そんな「悲しみ」が見る者の「魂」を浄化する。
名作と呼ばれる「エロゲ」もまた、同じ種類の「悲しみと情熱」を抱えているのだと思う。
そんな作者の「聖なるもの」が描かれた「まどマギ」だからこそ、何年しても「いい大人」が涙ぐむ力があるのだろう。
最近思うのは、予算やメディアの規模が大きいコンテンツほど、その作品の伝えることが「嘘」や「偽物」に見えることが増えたということだ。
投資の額にふさわしい「リスク減らし」をしようとすれば「純度が下がる」のは仕方のないことなのかもしれないけれど、嘘ばかりの現実世界で観客が「本当に見たいもの」は「作り手の嘘」ではなく「作り手の本心」だ。
たとえ何かの作品がヒットして、作者がメジャーのステージで仕事をする事になっても、忘れてはいけないことは「そこ」だろう。
世間にバカにされ、報われず、「権威も数字もない状態」で闘うのは、裏返せば「聖なる季節」かもしれない。
その時感じていた「想い」だけは忘れない。
まどかの言っていた「少しの奇跡」は「そのため」に使うべきなのだろう。
山田玲司
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平野建太
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ナオキ
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