コラム 2018.07.21

【第172号】「お前に言ってるんだよ!」〜舞台「三文オペラ」の夜〜

山田玲司のヤングサンデー 第172号 2018/2/7

「お前に言ってるんだよ!」〜舞台「三文オペラ」の夜〜

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

おことわり:このコラムは、ニコニコチャンネル「山田玲司のヤングサンデー」で配信されているメルマガを全文転載してお送りしています。転載期日が2018年4月下旬以降の号は、テキストのみを抜粋・転載しております。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

今週は諸事情により配信が3日遅れてすみませんでした。

 

今回は色々考えさせられた「あの夜」の話です。

 

去年の秋だった。

僕らは「ヤンサン3周年記念イベント」のために阿佐ヶ谷にいた。

スペシャルゲストはドレスコーズの志磨遼平だ。

 

久しぶりに会った遼平に「最近どんな感じなの?」と聞くと「舞台の音楽をやるんすよ」と言う。

「面白いね、何ていう舞台なの?」と聞くと「三文オペラなんすよ」と彼は答えた。

 

イベントでは「初めてのまどマギ」だの「おっくんとは何者か?」だののコーナーで盛り上がり、「舞台頑張れよ」と言って遼平と別れた。

 

舞台制作の途中経過を聞く度に、彼は「舞台の面白さ」に取り憑かれている、と言っていた。

「楽しくてしかたない」らしい。

 

自分のイメージを中心に世界を作ってきた彼が、初めて「共同制作」の一翼になれた喜びを感じているのかもな・・・なんて思った。

 

「俺を見ろ!」もいいけど。「こいつを見てくれ!」ってのもいいものだ。

みんなで作る「何か」を魅力的にするために「自分を抑えて頑張る」なんてのも悪くない。

 

そんなこんなで、舞台「三文オペラ」の公演が始まったので、観せてもらう事にした。

 

恥ずかしながら、僕はこの超有名な戯曲「三文オペラ」をよく知らない。

上演前に「演劇畑にいたおっくん」に「どんな話なの?」と聞くと「パンクなんすよね」「それまでの演劇を完全にぶっ壊す・・っていうか」とか言う。

 

「パンクで、ロンドンで・・」

「ピストルズ?god save the queenか?」

「あ、まさにそれっす。そういう話っすよ」

「みんな権威の奴隷だ、みたいな?」

「・・・間違ってはいないと思います」

 

などと語りながら僕は舞台「三文オペラ」を観た。

三文オペラのストーリーは、検索すれば簡単に出てくるのだけれど、今週の土曜の最終公演を観に行くので原作のストーリーも知りたくない、という方は、この先は「観劇後」に読んで下さい。

 

舞台は様々な「試み」が仕掛けられていて、音楽を束ねている志磨遼平の手腕も見事だった。

マリーズがかつて仕掛けていた「戦前、戦後の昭和デカダンス」「20年代のパリ」「夜の昭和歌謡」などのモチーフがオリジナルの楽曲にうまく溶け込んでいる。

最近盛り上がっていた「クストリッツァ楽団」の雰囲気もある。

楽団のミュージシャンがまた素晴らしい。

 

そんな音楽が生み出す「雰囲気」の中で、実力派の役者陣が「自分の役割」を見事に演じていく。

 

色々感じながら、気がつくと僕はこの舞台に「作者」を見ていた。

この戯曲を書いた人は「ブレヒト」

ナチス政権化のドイツで、ユダヤ人のパートナーを連れて亡命を続けながら戯曲を書き続けた男だ。

 

彼の代表作「三文オペラ」は、ドイツがナチスに乗っ取られる前の1928年に初上演されている。

 

主人公「マク匕ィス」は「悪徳のヒーロー」みたいな存在だ。

「世の中」を煙に巻き、自分の欲望を優先して痛快な人生を生きていく。

多くの女を抱え、人を騙し、仲間すら裏切る「反社会的英雄」だ。

 

物乞いで生きていくしか無い人達が溢れる街で、彼は「頭脳」や「要領」「美貌」などを武器に「好き勝手」に生きている。

 

そんな彼の存在は見るものにとっては「痛快」だ。まるで「ルパン3世」や「コブラ」みたいだが、人情のない(ように見える)彼はそれよりも「ひどいヤツ」として魅力的に描かれる。

彼の存在は「社会の破壊者」、確かに「シド・ビシャス的イメージ」だ。

 

物語の構造は、そんな「破壊者の英雄が上手くやる様」を観客が楽しめるようにできている。

 

「権威にすがるしかない人間」や「物乞いしかできない人間」を見下しつつ、どこかで「こんな社会を彼が破壊してくれたらいいのに」と思わせる作りだ。

 

「バカばっかりの世の中で、俺だけは上手くやる」「そしてこの世界を破壊してみせる」なんて、もう見事に「中2的世界観」だ。

 

ところが物語はそう簡単には進まない。

みんなが持ち上げた「破壊の英雄」は、皮肉にも「持ち上げた民衆」の手で処刑される。

 

このテーマは実に現代的に見える。

初演から90年経った極東の島国で未だに同じ事が繰り返されている。

人びとは「私たちの気持ちの代弁者」とか「時代の英雄」みたいに誰かを持ち上げては、ほころびを見つけて「集団で袋叩き」にする日を待っている。

 

三文オペラでは「大衆」に対する批判が込められた結末が用意されている。

畳み掛けるように「君たち大衆が望んでいたのはこういうヤツでしょ?」と、観客を煽る本当のエンディングで劇は終わる。

 

「大衆」とは、ぼんやりとした頭で、創作物に「都合のいい夢」を望み、自分たちが持ち上げた「英雄」を「生贄」という酒の肴にして消費しているだけだ、と言っているように見える。

ブレヒトもまた多くの女を抱き、「英雄」にされたり「国外退去」にされたりした人だと聞く。

 

「怒れるブレヒト」がそこにいるのを感じる。

 

「お前に言ってるんだよ!」と、言っているのを感じる。

 

「権力側も民衆側も正当な判断なんかできない」というメッセージ。

 

これは「みんなに認めてもらえなくても、価値がないわけではない」とも聞こえる。

90年の時空を超えた「過激な優しさ」だ。

 

色々な事を考えさせられながら、観劇後に志磨遼平の楽屋に挨拶に行った。

すると、さっきまで素晴らしい演奏をしていたミュージシャンの人が「山田玲司さんだ!ずっと読んでます!」と言ってくれた。

「先生の漫画から沢山のものを頂いてます」なんて。

そんな人がブレヒトの作品を上演しているわけだ。まったくありがたい話だ。

 

僕はすぐに「売れなくても何かが届けばいい!」と言い出す漫画家だ。

売れないと困る事は多いんだけど、それが「届いている」のがわかった時、全てが報われるのも事実なのだ。

 

投げた「何か」が時空を超えて誰かに届いている世界。僕はブレヒトと同じ場所にいる。

そして、世界中に「そんなブレヒト仲間」が沢山いる。

 

なんか熱い気持ちになって仕事場に戻ると、アニメ「ハクメイとミコチ」が録画されていた。

 

安藤監督があの時の阿佐ヶ谷のイベントの客席で、ヤンサンを観ながら作っていたアニメだ。

「ハクメイ」は細かい演出に監督の「誠意」を感じるアニメだった。

 

持ち上げたり、叩いたり、の世の中で、今日も淡々と「作る人」がいる。

「それ」が本当に価値があるなら90年後にだって会える。焦らなくてもいいのだ。

 

それにしてもなんて面白い世界に生きているんだ。

 

そう思いながら「新作絵本」を描いてます。

 

山田玲司

公式サイト:漫画家 山田玲司 公式サイト
Twitter:@yamadareiji
ファンサロン:GOLD PANTHERS
Facebookページ:@YamadaReijiOfficial

【質問はこちらへ!】

Gメール:yamadareiji6@gmail.com
ワニスタ:http://ch.nicovideo.jp/yamadareiji/letter

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
企画編集:山田玲司
平野建太
発  行:合同会社Tetragon
and
Special Thanks To 読者のあなた
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyright(C) ReijiYamada. All Rights Reserved.
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

ページトップ