【第183号】〜「平均」を出すと全員が不幸になる〜
〜「平均」を出すと全員が不幸になる〜
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おことわり:このコラムは、ニコニコチャンネル「山田玲司のヤングサンデー」で配信されているメルマガを全文転載してお送りしています。転載期日が2018年4月下旬以降の号は、テキストのみを抜粋・転載しております。
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《思い出し怒り》
きっかけは、おっくんの「きたがわさんもレイジさんも若いじゃないですか〜」
という他愛ない一言だった。
気の毒なおっくん。
彼は何も悪くないのに、僕の中で「思い出し怒り」が蘇ってしまった。
「うるせえ、どうでもいいんだ。そんな事は!」
「日本人は『年齢』と『体重』の話ばっかしすぎなんだよ!」
確か僕はそんな事を言ったと思う。
実はこの時僕が「爆発」したのは、今回のテーマである「フジテレビの件」が原因だった。
それは番組で話していた「とんねるず登場」の80年代半ばの話。
そして「それ」が象徴とするこの国の「排他的流れ」は、僕にとって大きな「何か」なのだ。
以前にも書いたり話したりしているけれど、どうしても「あの頃の怒り」が蘇ってしまうのだ。
《とんねるずの時代》
彼らは「体育会系のやり方」で、「ノリの悪いヤツ」を「排除」、もしくは「ネタ化」していた。
その中にいたのが、見た目でラベリングされた「ガリ勉」や「オタク」や「ゲイ」などだった。
彼らは無邪気に彼らをラベリング(キャラ化)して、笑いの対象(ネタ)にした。
そういう空気は物凄い勢いで当時の若者に浸透し、「あのノリ」に乘れないやつは「遊び場」から排除される、という空気になっていった。
そして、その「遊び場」には、いわゆる「イケメン男子」と「可愛い女の子」が含まれていたので、多くの若者は「そこ」から排除されないように必死になった。
かなり前にこのメルマガで書いたかもしれないけど、僕の大学時代の友人は、ずっと「アニメファン」だったけど、当時の空気ではそれを言うと「キモオタ」にされてしまうため、ずっとそれを隠していた。
その当時の僕は「仮面の人格」を演じてなんとかやり過ごしていたけれど、「子供みたいなバカ騒ぎができる」という「ノリ」ができないと排除される人達のことを思うと複雑だった。
なにより嫌だったのは、排除される人の中には「まともに人生について考えている人」も含まれていたことだ。
社会や人生に疑問を抱き、歴史上の人物や海外の人にも「その答え」を求める「求道者」もいたと思うし、何より僕が「そういう人間」だった。
「フジテレビの時代」以降に起きた「インテリ排除」の流れは「考える若者」の排除でもあったと思う。
その背景には「学生運動の敗北」と、団塊世代の「不毛なインテリごっこ」の後遺症があったにしろ、若者に「考えない」ことを押し付けていた「空気」は、後の時代に「深刻な問題」を残していったと思う。
正確に言えば、とんねるずはたまたま時代のアイコンになっただけで、犯人は彼らを選んだ「時代の空気」だったと思う。
要するに「みんなが観る番組」が、「そういうもの」になったので、視聴率の取れない「その他のもの」は切り捨てたという、今の「ポピュリズム」そのものだろう。
《お勉強後遺症》
フジも含めて「知的なテーマ」を模索した番組の挑戦も何度か見かけた。
しかし、それが続かないのは「みんな」が観ないからなのだ。
そして、最終的に支持されたのは、学校のテスト問題みたいな「漢字テスト」や「計算」を「間違いなく答えるゲーム」みたいなショーと、高学歴のタレントと学歴の低いタレントが「難しいテスト問題」を正確に答える、みたいな番組だった。
ここに「自分の哲学」より「事務能力」を試されるという、日本教育の悲惨な末路が露見している。
(多くの)日本人が声高に主張出来ることは、「自分の考え」ではなく、一般に認知された「誤字脱字」や「計算違い」の指摘なのだ。
「私はこう思います」ではなく。
「それは教科書に載っていたのと違います」という声ばかりになった。
これは明らかに「受験後遺症」「お勉強後遺症」だろう。
「暴れるバカ」が「真面目なバカ」に変わったのが0年代だったのだと思う。
そしてここにも「マーケティング」の悲劇があって、「平均的に好まれるもの」がメインステージを奪うと、その他の多くも「似たようなもの」になっていく。
《ラベリングをやっつける漫画》
僕があの当時悲しかったのは、知的水準を下げる事で支持された「メインステージ」は、悪い意味で子供っぽい「排他的な場」になったことだった。
「その場」では、「オタクは気持ち悪い存在」と決められていて、「オタク」とラベリングされた人間の1人1人が「何について熱中しているか」は関係ないし、1人で本ばかり読んでいる「メガネくん」が「何を思い」「何を考えている」のかも関係ないのだ。
今回「漫画動画」のコーナーで取り上げた、僕の漫画「Bバージン」は、そんな(オタクという)ラベリングをされた男が、「仮の姿」で、とんねるず的な世界に挑んでいくところから始まる。
それは「オタク」や「ゲイ」や「変な見た目」をバカにしながら、ろくにモノを考えていない「ノリだけのやつら」にケンカを売ったのが「Bバージン」だったのだ。
《「全員を不幸にする」日本人の価値観》
人生相談や恋愛相談のほとんどは「自分の評価」についての悩みだ。
「私は人からどう見られているのか?」が、悩みの根幹にある。
特に若い女の人は「年令を重ねる事」と「太る事」に怯えている。
男も似たようなもので、「ハゲて」「太って」「年をとった」ら「自分は終わり」みたいに思っている。
逆に言えば、日本人にとって「最高の価値」は「若くて細い美人」と「若くて細いイケメン」という事になる。
あまりに幼稚な価値観でクラクラするが、これも事実だろう。
確かに「若くて細くて魅力のある人」もいる。それはそれで「価値」の1つだろう。
でも僕が魅力を感じる人の多くは「ハゲ」だったり「じいさん」だったりするし、実際、男にモテる女は「若い」とか「細い」で決まってはいない。
そもそもこの価値観はいったい誰を幸せにするのだろう。
全員が必ず年を取るのに、人生のピークが10代後半からのわずか数年で、その後は長い下り坂を必死で誤魔化す価値観でいいのか?
「必死で若作りしている妙齢のタレント」や「美魔女おばさん」なら大丈夫なのか?
いやいや、とても彼らになりたいとは思えない。
若いアイドルを応援している人や、それを仕掛けている人なんかはいいかもしれない。トロフィーワイフを探している成金オヤジもいる。
でも「その人当人」の価値についてはどうなんだ?
《かっこいいって何だ?》
この話はすべて「人に良く思われたい」という煩悩から来ている。
でもその煩悩は簡単に消えるものじゃない。
なので、人は「みんなが素敵」と言っている姿に自分を合わせようとする。
その「みんな」の価値観が「若くて細い」なのだから、みんな必死で「そこ」を目指す。
でもその「みんな」ってのは、本当に全員なのか?
本当に全員が「それだけ」を素敵だと思っているのだろうか?
人は必ず年をとる。
体型は変わるし、代謝が落ちると肉もつく。
全部「当たり前のこと」だ。
その「当たり前」を否定する価値観は「ほぼ全員」を不幸にするだろう。
例えば「ハゲ」に関しても。
「ハゲたらキモい」と言う国と「ハゲはセクシー」と言える国のどちらが豊かだろう。
実際の話、男も女も「若いほど好き」とか「細いほど好き」とか言ってる人ばかりではない。
「ハゲ」が好きな人も「デブ」が好きな人も本当は沢山いるのだ。
「好き嫌い」の根拠は、実のところ「自分」ではなく、その時の「空気」であることが多い。
「男もエステに行くべき」みたいに言われていた時代の女の人は「すね毛は気持ち悪い」とか言っていたが、今の時代「すね毛」を憎悪する女の人は見なくなった。
人の好き嫌いなんてものは、常に「確実なもの」ではないのだ。
フジが排除した「マイノリティー」の中に「多様な才能」が存在したのと同様に、「平均」という価値観が排除した「人の好み」には「多様性」が確実にある。
「平均」という「意味のない幻」に引きずられるのは、終わりにしたほうがいい。
まあ、つまり「年齢」も「体重」も、人の価値とは関係ないって話です(笑)
今週も色々あるだろうけど、頑張ってね!
山田玲司
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企画編集:山田玲司
平野建太
発 行:合同会社Tetragon
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Written by
ナオキ
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