コラム 2017.08.13
【第88号】婚活漂流教室、あ、GO!
山田玲司のヤングサンデー 第88号 2016/6/13
婚活漂流教室、あ、GO!
婚活漂流教室、あ、GO!
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リアルな恋愛からは逃げるしかないのか?
先週は「責任とってっちゃ」からの恋愛地獄話で、面白かったんだけど。
どうもまだまだ恋愛の地獄を笑えないステージにいる人を怖がらせすぎたかもしれませんね。
それでもこの問題は、いずれは正面から向き合って「笑うしか」な時が来るので、こういう回もあって良かったと思う。
アニメだの声優だのアイドルだのが主流のニコ動では稀有な放送だと思うしね。
麻酔コンテンツに溺れて「女の子は僕だけの天使」とか「私だけを愛し続けてくれるイケメンの大金持ち」とかの「架空のキャラクター」ばかりを眺めていたら、本当は豊穣なリアル恋愛世界を味わう事無く怯えたまま年老いていく・・なんて事もあるわけで。
そっちの方がよっぽどホラーだと思うんだよね。
AI彼女に逃げるのもいいけど、それで「寂しさ」が誤魔化せるかは、その人次第。
そして人間はそんなに単純じゃない。
だから面白いんだけどね。
「婚活漂流教室」スタート
ワニマガジンのWEBサイトでやっている「普通の恋ができない」の第1シーズンが終わったので、第2シーズンがスタートします。
それがどうにも35歳の独身女性の婚活がテーマになることになって、何だかアッコの「タラレバ娘」みたいなんだよね。
ニーズは多いし、面白いテーマではあるんだけど、どうにもこの手の「婚活に焦る女の話」というのは、考えてて気が滅入る。
「やりたくてもやれないドーテー男」のようには笑えないのだ。
「結婚しないと女として価値がない」という、昭和の価値観で親族やご近所に追い込まれ、メディアも相変わらず「女の幸せは結婚」とやっている。
そんな事は個人個人違うので、独身だと「劣っている」なんて勝手に決められる社会のほうがイカれてる。
不倫の話であれほどヒステリックに正義をかざすのもどうかしている。
そもそも「人間」というものについての考察が「水たまり」くらい浅い。
「親の不倫で傷つくのは子供たちなんです」なんて言っているけど、両親が離婚しても立派に幸せになっている人はいるし、とっくに愛が冷めているのに世間体のせいで別れない両親のせいで苦しんでいる子供だっている。
「子供がかわいそう」とか言うなら、自殺したくなるような学校に通わせるほうがよっぽど「かわいそう」だ。
そんなこんなで「オワコン」になっている「結婚システム」を絶対的なゴールだと思っている(時期の)女性は、本人のせいではないだけに、気の毒で笑えないのだ。
「私は誰の犠牲にもならない」と思っている人を愛せるか?
確かに「悪い男」も「悪い女」もいる。
「遊んで抱いていなくなる」って人は男にも女にもいる。中にはお金を取ったり、殴ったりする人もいる。
そういう意味で言えば「昭和の夫たち」もひどかった。あの頃の旦那は普通に女を殴ってたし(子供でも部下でもやたらと殴ってた)女房も家畜も同じように扱っていた最悪な旦那もいたという。
そんな男の犠牲になっていた女たちが60年代以降「自分の人生」を取り戻して、男と同等になる、という流れになったのもうなずける。「女は家畜じゃない」ってのは当たり前の話だ。
そんな闘争の歴史から「男の犠牲にはならない」というスローガンが生まれたまではいんだけど、これが後の世代に「いささか不幸な空気」を作ってしまった気がする。
「女だから」という理由で職場で「お茶くみ」しかさせないのは問題だけど「私は男どもにお茶なんか死んでも出しません」みたいなのはキツい。
そんな生き方をしていると人生は殺伐として「不満ばかりの日々」になってしまうだろう。
こういう「男と戦う女たち」が現れたのにはひどい歴史があって、明らかに男には歴史的な責任があるとは思うけれど、今はどうか?と言うと、日本の男はとっくの昔に女に降参している。
「もう勘弁して下さい」って感じだ。
特に恋愛やセックスを「結婚のために女が犠牲になること」だと思っている女達には怯えを隠せない。
「抱いたんだから国に書類を提出して、一生生活の保証をしてね」と言っているわけだから、こうなると簡単に口説くこともできない。
その人が死ぬまで一緒にいられるほど、自分にとって価値のある女性かどうか?なんてそんなに簡単にわかるわけがない。
これは男も同じ話で、その時に一緒に生きていこうか、と思ったら「婚姻届で生涯契約」というのはそもそも無茶な話だ。
ましてや「私は誰の犠牲にもならない」と言って生きてきた人が婚姻届を出したとたんに「寛容な人」に変わるとは思えない。
そもそも「誰かのために何かをしてあげる」ということの全てが「犠牲」ではないだろう。
サンダーバード的関係
そんな現代の恋愛結婚事情を考えれば考えるほど、この問題は当事者不在の老朽化した「社会システム」や「世間」の問題だと気がつく。
そもそも「好きな人に何かをしてあげる」ってのは「気分のいい事」なのだ。
「あ、これってあの人の好きなやつだ」と思ってそれをあげたくなる。相手はそれを喜ぶ。っていうのが「プレゼント」の本来の姿で、クリスマスだとかバレンタインだとか、みんながするから仕方なくする、みたいになると、それはもう「経済を回すための行為」に巻き込まれているわけで、「気分のいい事」からはズレてしまう。
前回話した「サンダーバード」の人達は困っている人がいたら助けに行く。
感謝されなくても、嫌な態度をとられても、とにかく助けに行くのだ。
恋愛も人間関係もあんなふうに、「お困りでしたら助けに行きます。犠牲になってもいいですよ」と、思えたらいいよね。
簡単じゃないけどね。
何度も書いているけど、やっぱり「愛される人は、愛せる人」なんだよね。
自分のために犠牲になってくれた人のためなら、犠牲になっても助けたいって思うもんね。
忙しいのに「お茶」を入れてくれた人には、忙しくても「お茶」を入れてあげたくなるしね。
嫌なことがあったのに笑顔で挨拶してくれたら、こっちも頑張るよね。
それも人間。
では、今週もご機嫌ぶって行きましょう。あ、GO!
山田玲司
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企画編集:山田玲司
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Written by
市川 剛史
どすこい喫茶ジュテーム