コラム 2017.05.23

【第7号】彼女のブラを外すと失うものって何?

今回のニコ生ではあの「ラピュタ」を分析してみて色々考えました。
「あの作品は童貞野郎の勝手な妄想だ」みたいに思っていたけど、クリエーター賛歌と若い作家の内面が描かれていて想像以上の面白さがあったので楽しい体験でした。
何かときつかったのは、その「少年の妄想」が「終わるもの」だという事を知っているからだと思う。

少し前に聴いたバンド「モーモールルギャバン」の曲の歌詞にすごいのがあった。
「ハニー 裸でギターかき鳴らすのやめて」とかいう歌詞だ。
何かいい。
同棲中のサブカルカップルのカオスな日常に差す「かすかな絶望」ってことでしょうか?
昔、裸でギターを弾く女の子の漫画を描いたりしていた僕には、なかなか好みな歌詞です。

ところでなぜこの歌では「やめてハニー」なのだろうか?
せっかく彼女が裸なのに。ギターまで弾いてくれるのに。

ざっくり言うと、答えは「夢が終わるから」でしょう。
男の子は女の子に「天使」とか「おならもしない」とかいう幻想を抱えて生きている(生きたい)ので平気で裸でいられたら困るわけです。
裸なら「いやん」とか言って頬を赤らめてくれないとせっかくの天使が「おばさん」になっちゃうわけです。
ましてやこの「ギターを弾く」という行為は自己表現の象徴でもあるので「天使」にそんなめんどくさい主張されたら困るんだよね、という要素も匂います。
そういえば映画「フォレストガンプ」の彼女は「難儀な人生」の中盤で裸のままギターを弾いてますよね。

では、ブラを外して失うものとは何か?

・「ブラを外して失うもの」とは何か?

同棲とか結婚生活とかは、はっきり言って「女」という役者さんの楽屋に住むようなものです。
夢見る童貞的男がそんな事を始めたら「おならもしない天使」など「童貞男の妄想」だと思い知らされるわけです。
そんなわけで「ハニーやめて」となるわけで、これは「君の中のおばさんを見せるのやめて」ということですね。

「少女の妄想」も激しいですけど「童貞少年の抱える妄想」もなかなかのエネルギーでそんな力が巨大な「アイドル産業」を支えていたりするわけですね。本当 はあの応募券付きCDを買うお金やエネルギーは結婚とか育児に使われるものなんだろうけどね。少子化ロケットは止まらないぜジャパン

とにかくそんな童貞少年の時代はとにかく何にでも興奮できる時代で、「未体験のこと」イコール「妄想ワールドカップ」です。おまけに同級生もほぼ同じよう な妄想ステージにいるので、「隣のお姉さんの下着が干してある」みたいな話だけでもう「ご飯何杯でもいけます」な時代なわけです。

数年前にラジオで伊集院光さんやみうらじゅんさんなんかが、この「妄想フリーダム」な童貞時代を総称して「中2」とか「DT」などと言って多くの人の共感を得て、今の「中2病」という単語に繋がったと聞きます。
当初は「中2」は性の問題だけではなくて「中学生のバカ時代」「トホホ武勇伝」みたいな話だったらしくて、美しい言い方をすれば「スタンド・バイ・ミーの時代」ってことですね。

昔から言う「聖なる14歳」だ。

そんな少年の「完璧な世界」が終わるのは「女の人のブラを外す時」です。

妄想はピークに達し、憧れの現実と直面する瞬間。「天使」の衣服を剥ぎ、うぶ毛とかすかな汗の匂いを感じる瞬間。熱い吐息に心臓の音。体温。そのすべてが「断乳という残酷な儀式」から始まった長い旅の終わりであり、それは「少年」の終わりでもあるんですね。
それからは床に転がった彼女の「毛玉のついたブラ」にも慣れなくてはいけない。
そして天使は「便座を下げろ」とうるさくなり、様々な契約書にハンコをせがんでくる。
ブラを外すと「生活」がやってくるのだ。

村上春樹作品は「中2病小説」か?
かくして中2たちは楽園を追われるのだけど、その輝かしい妄想と「バカ」の日々は愛おしく、みうらさんでなくても「あの日々」に思いをはせてしまうのはわかる。ついつい当時ハマったアイドルのDVDや当時のアイドル雑誌なんかを漁ってしまうのもわかるし、「いい大人」になってもまだ中学生が考えそうな妄想に取り憑かれる感じもわかる。
そういう類のことが当初の「中2病」のイメージだったんだと思う。
そういえば村上春樹作品ってのも「若き日の妄想」憧憬てんこ盛りですよね。
きっと「少年」を捨てられないから「苦しむ」し読者に共感されるのかもしれませんよね。
この話は面白いからまた改めて。

・童貞のまま「中2をディスる人」登場!

ところで1つ大きな問題がある。
「中2」を人をディスる時に使う人の増殖だ。

そもそも「これって中2病だよな」と言って笑える人は「ブラを外して楽園を追われた人」のはずだ。
伊集院さんもみうらさんもブラは外してるのだ(見たわけじゃないけど)
なのに最近の人は中高生ですでに「あいつ中2病だよな」とか言ったりしてる。
え? 彼らはみんな「すでにブラを外した」のか?今の子供はもう「そんな感じ」なのかっ?
それならそれで漫画にでもしたいけど、そんなわけもなく。
単に言葉が「別の意味」を持って1人歩きしているのだ。

そもそも今の日本では現実の女に触れたその先に「生活」があることの恐怖や「猛獣化」していく日本女子の増加で「楽園を去らない」男たちが溢れていて、ある種の男たちは「CDを買って握手で充分」なのだ。そんな男たちの背中を女たちが「蹴りたい」と思うようになったのだって結構前のことだ。
みんなが若くして「彼女のブラを外してる」わけがないのだ。

しかし、何が困るって「中2病」という言葉が「未熟なヲタ」とか「自意識過剰な世間知らず」とか「身の程知らずのファンタジー人間」みたいに「現実を知らないダメな子」といったニュアンスで使われている事だ。

確かにそもそもの「中2病」にはそれに近いニュアンスもあるけど、否定的意味合いよりは「自虐寄りの妄想賛歌」であったはずだ。

「夢」とか見たらアウト
その「妄想すること」を中2病と言って卑下するのも残念だと思うのだけど、僕が一番問題だと思うのは夢とか理想まで「中2病」と言って否定する空気だ。
最近「夢」と聞くだけで「アウト」と言う人が増えた気がするけど、そういう人にとっては「中2」や「ゆとり」は便利な侮蔑用語になってしまっている。
絶対安全なはずのものがぶっ壊れたままの国で「何が夢だバカ」という気分もわかるけど、「理想」とかを口にしたとたん「出ました中2病乙」と叩いてくる。

僕は初めて「中2病」って言葉を卑下するニュアンスで使う男に会った時、何ともいえない気分の悪さを感じた。
「いつまでも剣と魔法で世界は自分が救うとか思ってるやつですよ」と彼は言うのだけど、こうなるともう伊集院さんたちの言っていた「中2楽園」の話とは違って嫌な感じだ。
「少年期の妄想賛歌」がいつのまに「理想主義バッシング」みたいになってるのだ。

何でこうなる?

 

第5回「はじめてのラピュタ」

メルマガ発行日 2014/11/10

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