コラム 2018.07.07

【第170号】自分は「役に立たない人」だと思っている人へ

山田玲司のヤングサンデー 第170号 2018/1/22

自分は「役に立たない人」だと思っている人へ

 

 

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おことわり:このコラムは、ニコニコチャンネル「山田玲司のヤングサンデー」で配信されているメルマガを全文転載してお送りしています。転載期日が2018年4月下旬以降の号は、テキストのみを抜粋・転載しております。

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今週も頂いた人生相談にお答えします。

 

【役にたたない自分におかしくなりそうです】

 

玲司先生、奥野様、清水様、久世様

いつも楽しく番組を拝見させてもらっています。 いさみと申します。

皆さんからの意見を聞きたいことがあり、お便りを送らせて頂きました。

私は、現在、工学系の大学の大学院に通っているのですが、大学院に進んで教授との研究についての議論などが活発化していくなかで、自分が自閉症スペクトラム症候群(ADHD・アスペルガー)であることが分かりました。

 

振り返ってみれば、昔からこだわりが強かったり、片付けが下手でいつも机やランドセルの中がぐちゃぐちゃでした。小さい頃には、自分の好きなアニメの前売り券を買うために親に断りもせず、自転車で遠出し補導されるなんてこともありました。

幸いにも少ないですが良い友人にも恵まれ、大学にも通えていたのでまさか自分がそんな病気にかかっているとは思いもよりませんでした。

 

そのせいもあってか、教授ともなかなかうまくコミュニケーションが取れない為、研究が上手く進みません。どうにか、指摘されたことを直そうとするのですが、一個を直そうとすると別のミスを犯し、それが重なってパニックになり、結局何も解決しないという日々が続いています。両親や友人にも相談できず、卒業できるのだろうかという不安とせっかく兄に我慢してもらって大学に行かせてもらっているのにここまで来てすべてを台無しにしてしまうのかと思うと最近では、なんで自分はこんなに役に立たないんだという無力感が頭の中をかけめぐりどうにかなってしまいそうです。

 

そこで、質問なのですが、皆さんはそういったどうしようもない無力感に苛まれたとき、どうやってそういう気持ちを解決していますか。

 

絶望に効くクスリ等で多くの人と対談した先生や海外での旅や仕事(美容師、演出家)等で多くの人と関わってきた皆さんにぜひ意見を頂けたら幸いです。

 

A.

この話。

ちょっとわかります。

 

医者にかかったわけではないので、自分がADHDであるか断定はできないのですが、僕もあなたと同じようなところがあります。

 

ヤンサンでの僕は「わかったような顔」で話をしているので、わかりずらいかもしれませんが、僕もいわゆる、人の役に立つ「ちゃんとした人間」ではありません。

 

よく番組を見てくれている人にはおわかりかもしれませんが、僕はいつも「どうでもいい服」を着ています。

 

そのくせ、本番中に突然「モニターに映る自分の姿」が気になって仕方なくなったりするのです。

さっきまで「話す内容」に夢中になっていて、自分の見た目なんか「意識の外」にあったのに、唐突に「こんなバカな姿をさらして喋っている自分はおかしいんじゃないか?」と、軽いパニックになるのです。

 

なので僕みたいな人間は、本来漫画だけ描いて人の前に出たりしなければいいんだけど、「この話は面白い」と思うと、猛烈に伝えたくなってしまって、気がつくと「漫画」にするのもじれったくなって「人前」に出ているのです。

 

「どうでもいい服」同様、僕の仕事場には「どうでもいいもの」が溢れている空間があります。

人が気にする「見た目」「お金」「ステイタス」みたいなものは本当に「どうでもいい」のです。

そのくせ「玄関やベランダの植物」には妙にこだわって間接照明の角度に延々と手間をかけてしまうのです。

 

これは、一見「僕の得意技」に見えるであろう「人とのコミュニケーション」でも起こります。

対談なんかで集中して人の話が聞けるのはせいぜい3時間が限界で、その先は「心がどこかに飛んでいってしまう」ことも多いのです。

連絡関係もいい加減で、ひどい筆不精です。

 

これは僕だけではなくて、漫画家の友人にもすごく多いです。

そもそも漫画家や発明家なんかの「右脳系」頭脳労働の人には、こういう「ちゃんとできない系」の人が多いのだと思います。

 

手塚治虫先生は人と会話をしていて、度々「心がどこかにいっている」事が起こっていた、と聞きます。

その様子は映画「トキワ荘の青春」の中でも描かれています。

 

わかりやすい例でよく言われるのが「ジョブズ」「ディズニー」「エジソン」などの「伝説の人物」が「ちゃんとしたコミュニケーションのとれないこだわり派」だった、という話です。

 

彼らはその「自分の性質」に無自覚であったために、周囲の人を沢山傷つけたようにも見えますが、逆に言えば「この性質」に自覚がある人は幸運でしょう。

 

「自分の行動が人の迷惑になる可能性がある」と、わかっているなら「最悪の事故」は避けられますからね。

 

とは言っても、基本的に「ちゃんとできないこだわり派」であることを「人の役にたたないダメ人間」などと思うのは大きな間違いです。

 

そもそも「何が人の役にたつこと」なのか、なんて簡単にはわからないのです。

優秀な処理能力で生産性を上げる事で、環境破壊を加速させて「地球を破滅に向かわせている」事だってあるからです。

 

僕が旅したいくつかの国では「ちゃんと働かないでウダウダしている大人」が沢山いたのですが、考えてみると「大量生産、大量消費」をしない彼らは「地球の汚染」にブレーキをかけている存在でもあります。

 

そもそも世間的に評価されるような人の生き方が「良い事」かどうかなんかわからんのです。

 

相談者さんに言えるのは、まずは自分を責めるのを禁止して、今の場所でなんだかんだ「自分のできる努力」をしてみて、「違うな」と思ったら「別の道」に行けばいい、という事です。

 

それでも「過去の経験が無駄になる」という事はありません。

 

「経験」は自分だけの「武器」や「道具」にはなるのでご心配なく。

 

ところで「東京の下町」には「役に立たない」という事を自慢する、という不思議な美学があります。

 

北野武が「しょうがねえ野郎だなあ」と幾度も話題にする「下町のダメ人間」の美学で、落語に出てくる「与太郎」みたいな「おっちょこちょい」がそれです。

 

下町では自分の事を「(生産性のある)できるヤツ」とは言わず「俺の方がマヌケだぞ、このやろう」と言ってくるのです。

 

ここには「江戸庶民」の「豊かな美学」があります。

 

「ちゃんとできない方」が「粋」なんです。

 

僕はそんな「下町の美学」に育てられてきたのだと思うのです。

人は「工業製品」ではありません。

 

「粋なダメ人間の魅力」で勝負できるのが人間なのです。

 

山田玲司

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企画編集:山田玲司
平野建太
発  行:合同会社Tetragon
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