【第188号】「マカロニほうれん荘」の何が凄いのか?
「マカロニほうれん荘」の何が凄いのか?
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おことわり:このコラムは、ニコニコチャンネル「山田玲司のヤングサンデー」で配信されているメルマガを全文転載してお送りしています。転載期日が2018年4月下旬以降の号は、テキストのみを抜粋・転載しております。
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小学5年の頃だったと思う。
僕はある漫画に取り憑かれて、寝ても覚めてもその漫画の事ばかり考えていた。
他にも好きな漫画はあったけど、その漫画だけは特別だったのだ。
人生の中であれほど発売日を待ちわびたコミックスはない。
漫画雑誌の購入を控えるように親に言われても、我慢できずに「少年チャンピオン」を買ってしまう。
すべてがあの「マカロニほうれん荘」を読むためだった。
それはもうセリフを暗記するくらいに読み返し、雑誌を切り抜いた。
切り取ったマカロニのキャラクターを自分の漫画に貼り付けて、勝手に「コラボ漫画」を作っていた。
同世代のきたがわ翔も同じように「マカロニ」に取り憑かれ、彼は漫画のページごと模写したと言っていた。
そんな「マカロニほうれん荘」の凄さを、リアルタイムで読んでいない世代の人達に伝えるのは難しい。
しかし、その漫画は明らかに「それ以前」と「それ以後」の漫画を劇的に変えてしまったのは明らかだ。
それを他の世代で例えるなら「ビートルズ登場」とか「ドラクエ登場」とか「Mac登場」とか「初音ミク登場」とか「エヴァンゲリオン登場」とか、「ガンダム」なんかもその1つになるだろう。
鴨川つばめ先生の描いた「マカロニほうれん荘」はそういう作品なのだ。
そんな「マカロニほうれん荘」の原画展が開催された。
大変な事だ。何しろ「あの」マカロニの生原稿を直接見る事ができるのだ。
そんな事は今までなかったのだ。
そんなわけで、僕はきたがわ翔と一緒に原画展に行ってきた。
会場は大混雑で、スタッフさんは何度も「入り口付近に留まらないでください」と言っているのだが、
そうはいかない。
何しろ入り口に入るなり「マカロニほうれん荘」の伝説の第1話の生原稿が全ページ展示されているのだ!!!!
そこにいるのは「僕ときたがわ翔」だ。そんなもん動けるはずがない。
使われている画材や、修正の跡や、アシスタントの手が入っていない画面の処理、コマ割り、セリフ、ページの流れ、トーンを使わないテク、など1つ1つを2人で検証していく。
止まるわけがない。
その場所でニコ生放送を3時間は余裕でできる素材だ。
マカロニはあまりにも革新的で、その後の世代のデフォルトになった表現も多いので、今見ると「そういうのって昔からあったんだ」という印象になるのは否めないと思う。
おまけに真面目すぎる4段構成のコマ割りや、フルショットの多用、ノリだけ進む動きとリズムだけの展開が70年代マナーなので、そこが原因で古い印象になるかもしれない。
同時期の手塚治虫作品のブラックジャックのように「重厚なテーマ」があるわけでもない。
ところが実際に原稿を見てみると、そんなつまらない考察を吹き飛ばす「圧倒的なデザインセンス」が今見ても新鮮で、漫画そのものが生命力に溢れている。
引用ネタは「ピストルズ」や「クイーン」「キッス」などのバンドネタから「特撮モノ」「時代劇」「ディズニー」や「スヌーピー」まで実に幅広い。
明るい画面に「旧日本軍ネタ」「ミリタリーネタ」が頻繁に入るのもマカロニほうれん荘だ。
70年代半ばの連載なのを考えると、この頃ようやく「戦争体験」をネタ化していい空気になったのではないかと思う。
マカロニの魅力を箇条書きにすると。
・多彩で圧倒的な情報量の引用(ネタ)がポップに(可愛く)咲き乱れている画面。
・コマごとに衣装も髪型も変わったり、1人の人間が1コマの中に複数現れる、自由すぎる表現。
・25歳と40歳の留年生が高校にいる、というパワフルなアイデアが連続する。
・破壊的なギャグ漫画なのに、優れた青春モノでもある。
・服のセンスと女の子の雰囲気が革新的。
など・・など・・まだまだいくらでもあるのだけど、今回改めて気がついた。
マカロニほうれん荘のメインキャラの2人は「25歳と40歳の高校生」なのだけど、この人達は基本的に「迷いがない」のだ。
彼らは漫画の中から全力で「ふざけていいのよ!」と言っているのだ。
そして「戦争」も含めて、世界は多彩で「面白いもの」に溢れている事を伝えてくれている。
マカロニを読んでいた頃、僕は手塚治虫先生の「漫画の描き方」という本を何度も読み返していたのだけれど、そこには「漫画はデタラメでいい!」と書いてあった。
つまり、10歳の頃の僕は漫画の神様(手塚治虫先生)と、10歳年上のお兄さん漫画家(鴨川つばめ先生)に、同じタイミングで「好きにやれ!」と言ってもらっていたのだ。
「マカロニほうれん荘」はいつも明るくて、優しかった。
女の子は魅力的で、先輩はいつもワクワクさせてくれた。
テーマなんかお構いなしに描かれているように見えて「人生は楽しんでいい!」という力強いメッセージを持った漫画だった。
思うにヤングサンデーの「ご機嫌主義」で「圧倒的情報量」の「世界讃歌オーケストラスタイル」は見事にマカロニと重なる。
作者の鴨川つばめ先生は20歳でデビューして最初の連載が「マカロニほうれん荘」だった。
いきなり過酷なスケジュールに追われる事になった彼は「これで死んでもいい」と、猛然と連載に挑んだという。
そして、ボロボロになるまで描き続け、わずか数年で思うような漫画が描けなくなったというのだけど、生原稿を見るとそれも納得してしまう。
このクオリティの漫画を、ほとんど自分1人で毎週連載をしていたなんて考えられないのだ。
会場には「今の鴨川先生が描いたイラスト」も展示してあった。
その1つは「悲しい目をした鳥」だった。
鴨川先生が自画像を「つばめ」の姿で描いていたので、その鳥は「今の先生」なのだろう。
噂には、漫画を描けなくなってからかなりの苦労をされたと聞いた。
漫画家は想像以上のものを与えているのに、どうしてこういつまでも「19世紀の画家」みたいな扱いをうけるんだろう。
多くの漫画家が「悲しい最期」を迎えている、という話はよく聞く。
ミュージシャンも映像作家もそうだ。
売れなければ社会は見捨てる。どんな質のものでも売れれば認められる。
「本当にこれが『文明社会』なのだろうか?」
鴨川先生はファンレターを大切にスクラップしていて、今回それも展示されていた。
当時の僕と同じ様に鴨川先生から「自由」と「パワー」と「笑い」をもらった人達からの「感謝状」だ。
これを何度も見返しながら、過酷な漫画制作に挑んでいたその頃の鴨川先生の姿が目に浮かぶ。
なんかもう心がおかしくなりそうだった。
展示会を出た後に、きたがわ翔と延々と語った。
「あの人の努力のおかげで俺たちは幸せに生きてこられたんだよな」なんて。
僕らの使命は「そのギフト」を後の世代に伝える事だ。
リスクは大きくても、やはり恵まれた人生だ。
山田玲司
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平野建太
Written by
ナオキ
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