コラム 2017.06.16

【第30号】映画『セッション』菊池VS町山論争と「愛」の問題

最近、新作漫画の物語と格闘しているせいか、ヒントが欲しくて映画ばっかり見ています。

僕はあまのじゃくな所があるので、みんなが絶賛している映画と聞くと、ついつい「見たくない!」と思うタイプの人間です。
(それでも監督の過去作やテーマが好みなら、どんな大ヒット作も見ますけどね)

まあそんな感じで、観逃していたかなり前の話題作『第9地区』や『ドラゴンタトゥーの女』をいまさら観て色々と考え直したり、最新のハリウッド版『ゴジラ』も観てしまったりしました。

前者2作はそれなりの傑作だと思ったのですが、『ゴジラ』はいただけませんでした。

映画は膨大な数の人間の努力から出来ているので、安易に否定するのは避けたいのですが、「この映画はあまりにも“ビジネス”として作られ過ぎている映画だ」という印象でした。

利益目的の娯楽産業の宿命とはいえ“映画の神様の存在”を無視して作られた作品を観ると本当にがっかりします。

「映画はビジネスであって見世物なのだ!」という人がいるのもわかるので、この件で議論する気はないのですが。
「お金のために作られた映画」と「思いを伝えるための映画」が混在していると、「心の深い所に届く傑作」を探すのは本当に大変です。

逆に「作り手の思い」がこもった作品に出会えた時、僕は最高の気分になります。
「私はこういうことが面白いと思う」「私はこういう事に価値があると思う」「私は人生ってこういうものじゃないかと思う」みたいな、“作り手の思い”が込められていなければ、どんな迫力映像も退屈に感じてしまうのです。

テレビ局主体の映画ばかりの邦画になると、いよいよ傑作を見つけるのは大変です。
いくら宣伝で煽って映画館に人を呼んでも“ガッカリ体験”を観客にさせてしまうと、映画産業全体の損失になると思うのです。
それでも「自分の担当した映画だけは商業的に外すわけにはいかない」という担当者は「映画ファンなんかガッカリさせてもいいから、この映画にだけは客を呼ぶ!」と“売り上げ”という結果を出すためだけに映画を作っているように見えてしまいます。

僕は映画の70%くらいは「観てガッカリさせられるもの」だと思っています。
それくらいの気持ちでないと“名作宝探し”は続けられないからです。

29%の映画が「まあまあ面白いと思える映画」で、そのほとんどが70点くらいの出来だと思う。
そういう映画は、観た直後は悪くない気分なんだけど、ほとんどが観たことすら忘れてしまう。

そして、おそらく1%くらいの確率で「これは僕のための映画だ!」と思える傑作に出会う。

そんな1%の最高傑作に出会ってきたからこそ、僕はあいかわらず「映画」に期待をしている。
真剣に探してしまう。
まるで「恋愛」みたいだ。

そんな折、なんだか久しぶりに「映画」をめぐって論争が起きていた。
映画評論家の町山智弘さんとジャズミュージシャンの菊池成孔さんが、映画『セッション』に関して、激しい議論をしているらしいのだ。

僕は、お二人にお会いした事はないのだけど、お二人とも最高の知的エンターテイナーで、おまけにアウトサイダー(の芸風)なので、実はかなり前から「この人いいなあ」と思っていた方達です。

興味深いので、さっそくその議論を読ませてもらった。
乱暴でざっくりした僕なりの印象を書かせてもらうと、「音楽(ジャズ)ってものをわかってないヤツが映画でジャズを語るなよ!」という菊池さんと、「映画として良い(と思う)んだからいいんだよ!」という町山さんの主張がぶつかり合っているように見える。

菊池さんが「俺は音楽を愛してる!」と言っていて、町山さんは「俺は映画を愛してる!」と言っているようにも見える。

「俺の惚れた女をばかにすんじゃねえ!」と、喧嘩してるようにも見える。

「俺の女」とは、菊池さんにとっては“音楽(ジャズ)”で、町山さんにとっては“映画”なのだと思う。

この食い違いの議論は、最後は「愛の問題」として集結していく。

「いや、山田玲司、全然わかってねえよ」と言う方がいるでしょうが、その通りですね。
本意は当事者しかわかりません。
(正確には伝えきれないので、興味のある方はまとめとかで、実際に読んでみて下さい)

ただ、僕はこの2人の大人の真剣な(時に探り合いながらの)議論に好感を持ちました。

2人とも「お金のため」に語っていないのです。
議論の端々に「これでこの映画を観に行かなくなる人が出る」という話が出てくるのですが、それは映画会社の収益の問題を言っているのではなくて、「俺が認めた映画(認めない映画)」の評価についての話です。

菊池さんは音楽だけでなく、「映画」も大いに愛しているし、町山さんも「音楽」を大いに愛している人なのでしょう。
だけど、俺の女なのです。
バカにされて黙っているわけにはいかないのです。

そして、その「俺の女」は「音楽」であり「映画」であって、それは自分の人生にものすごく大切な存在で、その存在に自分自身が何度も命を救われてきたのだと思うのです。

そのもの凄く大切なものを侮辱されては黙ってるわけにはいかないのだ。

これには僕も完全に同意する。

「売れる新作を作るのが仕事」という人たちがいる。そのためには「映画」や「音楽」を侮辱してもいい、と思っている人もいる。

そういう人には僕も言いたい。

「俺の女をバカにすんな!」

そんなわけで、今週水曜は僕にとっての「俺の女」について語りまくります。
美大受験漫画『アリエネ』と「芸術」についての話です。

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そう、つまり「俺の女」についての話です。
お楽しみに。

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メルマガ発行日 2015/4/27
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