コラム 2017.08.16
【第91号】攻撃的な「不満の減らし方」と「シャチをキメる」話
山田玲司のヤングサンデー 第91号 2016/7/4
攻撃的な「不満の減らし方」と「シャチをキメる」話
攻撃的な「不満の減らし方」と「シャチをキメる」話
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まあどうにもみんな「不機嫌な顔」をしている。
夏が来るっていうのに「この世の終わり」みたいな顔をしている人も多い。
この前プロ野球でも見ようと思って神宮球場へ行ったら、なぜか大入りで当日券も買えなかったので、それも人生だな、なんて適当な居酒屋とかでビールなんか飲んじゃって、いい気分で帰宅しようと東武線に乗ると、北千住で人身事故が起きていた。
みんな神宮球場でヤクルトと横浜の選手が打ったり投げたり走ったりする所を見て、ビールでも飲みたいんだなあ、なんて思っていたら、同じ時間に「こんな人生なら死んだほうがマシだ」と、悲しい終わりを選択した人がいたわけだ。
駅で足止めされた人はみんな不機嫌そうに「迷惑なんだよ」という顔をしていた。
中には自分のカバンを自分で殴っているおじさんまでいた。
人が1人死ぬほど苦しんでいたのに、誰もその人を救えないまま最悪の形であの世に送り出してしまったのに、その場の空気は「勘弁してくれよ、自分が悪いんだろ」みたいな感じだった。
死んじゃう人はその人の責任?
小泉政権あたりからやたらと「自己責任」とか言うようになった。
学校も行けるし途上国と比べれば、成功のチャンスはいくらでもあるんだから、人生がままならないのは本人の努力不足だ、なんていう「戦後ご苦労された世代」が言いそうな理屈だけど、何でも努力で解決できるほど世の中は単純じゃない。
確かに戦後の一時期に「努力すればしただけ豊かになれた」時代ってのはあったと思う。
ところが、90年代の終わりにはそんな状況は歴史的な「思い出」になってしまって、努力しようが、反省しようが一向に幸せにはなれない時代になってしまっている。
最悪なのは「豊かになるのは親が豊かだった人」という、なんとも情けない国になってしまったことだろう。
戦後の社会はそういう不平等との戦いだったはずだし、親の七光でいい気になっている様な人間は軽蔑されていた。
1代で成り上がった田中角栄は英雄扱いされていたし、2世議員に対する風当たりも今ほど甘くはなかった。
ところが今はどこを見ても2世、3世議員、タレントで溢れかえっている。
スタートで「良いカード」が少なかったらそれで終わり、ってことは無いはずなんだけど、教育の機会から就職先まで「親の力」がものを言うのは事実だろう。
おまけにこの国は人の価値を「若さ」と「見た目」で判断するような底の浅い国になってしまった。
ようするに今の日本は「本人の努力ではどうにもならない事だらけ」の国なのだ。
そんな国で「自己責任」なんて、「世間知らず」を宣言しているようなものだろう。
攻撃的に人生に挑む方法
そんな国が嫌ならどうしたらいいか?
とっとと荷物をまとめて海外に移住するのもいいけど、やっぱり日本語も日本も好きだし、出来るならこの国に「良い国」になって欲しいと思うなら、とりあえず選挙に行って、こんな国にしてしまった政党から議席を取り上げなければいけないだろう。
それは1日で終わってしまうし、自分の力なんか何万分の1でしかないし、行っても意味ないとか思うかもしれないけど、少なくとも「抵抗」はした、という過去はできる。
この先更に最悪な時代になっても「少なくともあの時自分は抵抗した」と思えるだけでも投票に行く価値はある。
政治は自分の生活に関係ない、なんて思っていても、実際はえげつないほど生活に関係している。
税金関係だけでなく、その辺に売っている食品が安全かどうか?だの、変な薬を売らないようにさせているか?だの、水や空気の安全性でさえ「その時代の政治」にかかっているのだ。
空気が綺麗で水が美味しくて、国民が健康で、充実した暮らしができる国を作るのは「政治の仕事」だ。
それが出来なくて病人と自殺者と引きこもりを増加させるばかりの国を作った与党の政治家はやはり「失格」だろう。
「生きにくい」のは政治が悪い、どころか「政治に殺される」ことは戦時中でなくてもあるし、あの日北千住で亡くなった人も「時の政府」と「政治に無関心な人達」に殺されたとも言えるのだ。
とは言っても、こんな風に政治に期待してばかりでは失望ばかりの毎日になってしまう。
投票をしたら、次は自分の人生を面白くするために何ができるか考えよう。
何か新しい事を始める経済的、時間的余裕はない、という人も多いだろう。
でも「何1つできないか?」と言えばそんなことはないはずだ。
「シャチる」とは?
僕の相棒のおっくんは、日本画が好きだけど、絵を描いたりして来なかった人だ。
絵に憧れがあるので、熱海に続いて千葉の旅でも「みんなで写生大会しましょう」と言っていた。
同行していた僕とアッコは美大出身で仕事でも絵を描いてるので「何でここで?」みたいな感じだったのだけど、それも面白いんで今回もその企画に乗ることにした。
旅の途中雨が振りそうだったので、その企画は流れそうだったのだけど、それなら鴨川シーワールドまで行けばいいか、となって「それなら、シャチる?」という事になった。
「シャチる」と言っても何のことはない。ただ単に「シャチを見て、シャチを描こう」と言うだけの話。
そんな他愛のない事ではあるのだけど、普通に生きていると「シャチを描く」という機会はそうめったにあるもんじゃない。
しかも鴨川シーワールドはシャチが見られるカフェがある。「シャチる」には絶好の場所だ。
ところが、おっくんは車にスケッチブックを忘れてきてしまったままシーワールドに入ってしまった。
「一度出て取ってきます」というので、僕とアッコは「いやいや、そこまでしなくていいよ」と、その企画を軽く流そうとした。
それでもおっくんは「いや、やっぱり描きたいんで」と、係員に事情を説明して車に画材を取りに行った。
そんなこんなで、シャチの絵をみんなで描く事になったのだけど、始まってみると、これがどうにも異様な盛り上がりをみせた。
それぞれが本物のシャチを目の前に「自分のシャチ」を描いていて、気が付くと時間を忘れて絵に熱中している。
面白かったのは、その中で特に熱中して描いていたのは、どういうことか、普段さんざん絵を描いている僕とアッコだった。
静寂の中でアッコが「いい時間が流れてますなあ」と言った。
画材はみんな100均ッショップで買った適当な紙のスケッチブックとクーピーの偽物みたいなやつで、真剣に写実で描こうとしているアッコには気の毒だったけど、それでも終わってみれば、さっきまではこの世に存在しなかった名作の数々が生まれていた。
そもそも僕と東村アキコは漫画が縁で友人になっていて、おっくん達はその読者だったり、その友人として知り合った関係だ。
そんな感じで出会ったりした場合、せいぜい飲みに行く程度の付き合いで終わるのが普通で「シャチる」ことは(滅多に)ない。
なので、この場合のヒーローは「プロの漫画家に写生大会をさせようと仕掛けた、おっくん」だろう。
ただそれだけで僕らプロの漫画家も絵の楽しさを思い出して、一緒に描いた仲間は絵を描くという非日常の体験を味わったわけだ。
普通、観光地に行った場合「みんなでスケッチ」はしない。
それをあえて「する!」というのが、僕の思う「攻撃的人生の楽しみ方」だ。
難しいことじゃないし、それでお金が儲かったり、有名になったりするわけじゃない。
でもそれは貴重な人生の時間を「良い感じ」にする力を持つ。
政治に期待できなくても、人生は「良い感じ」にはできる。
投票行動で与党にダメ出しをしたら、次は自分の人生を「良い感じ」にする方法を考えて実行しよう。
それがどんなにしょうもないものであっても、実行したら大抵は「面白かった経験」になる。
これは「いつもの毎日」との戦いでもある。
いつもの毎日が生み出す「倦怠」は、他国だの他人だのを罵る事では解決しないけど、100均のスケブだけで倦怠の1部は吹き飛ぶのだ。
シャチに熱中した時間が終わって、アッコがおっくんに
「おっくん、さっきスケッチブックなんか取りにいかなくてもいいとか言ってごめんね」
と言っていた。
それが言えるアッコもさすがって感じだ。
それではみなさま、今週も蒸し暑いけど頑張ってね!
今週の放送はいよいよ「ダダイズム」を取り上げます。
「常識を破壊するって何か?」みたいな話ですから、盛り上がりますよ。
山田玲司
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企画編集:山田玲司
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発 行:株式会社タチワニ
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Written by
市川 剛史
どすこい喫茶ジュテーム