コラム 2017.09.17

【第122号】「オヤ」の取り扱い方

山田玲司のヤングサンデー 第122号 2017/2/13

「オヤ」の取り扱い方

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もーね。
正直な話、久しぶりに物凄く緊張しました。
頑張ってふざけていましたけど、何しろ今回のゲストは手塚るみ子さんです。
るみ子さんは優しくて面白い人だとは聞いてはいたんですが、何しろ僕の人生を決定づけた、漫画の神様のお嬢様です。
何度も言っていますけど、僕が漫画家になったのは、手塚治虫先生の「マンガの描き方」という本に出会ったからです。戦争時代に自由を奪われ、好きなことをやらせて貰えなかった手塚先生は、子供や読者に「自由」を与えてくれた人でもあります。
僕の人生がこんなに面白くて充実したものになったのは、手塚先生がこの本で「漫画はデタラメでいいんだ!」みたいなロックなメッセージを書いてくれたからなのです。
なので、僕もるみ子さんも戦後の平和な時代に手塚治虫という人がくれた「自由」をもらって生きてきた姉弟みたいなものなのです。
なんかもう「会った事のない(魂レベルの)姉弟」の対面だったのです。
そりゃあ緊張もしますよね。

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〜ゲンドウと治虫〜
放送中に改めて「すごいなあ」と思っていたのは、るみ子さんが自分の「生まれ」を受け入れて、その過酷な使命を「明るく」引き受けていることでした。どんな人でも「自分には自分の人生がある」とか「自分と親は別のもの」と思ったりするものです。ましてや国民的な漫画の神様を父に持ってしまうと、もう「親のこと」抜きでは生きさせてはくれないのでしょう。若い時期に何度も親に反抗したというのも頷けます。
そして普通の番組ではまずありえない事ですが、るみ子さんがほとんど知らない「エヴァンゲリオン」の解説コーナーにまで参加してもらったわけです。
ああ、なんということを・・・
エヴァはご存知の通り「父親と息子の葛藤(愛憎)」を描いたアニメです。
頑固で融通のきかないゲンドウという父親に認められたい息子(シンジ)の物語です。
そしてこの構造はかつての日本家庭での定番で、手塚治虫も同様に「頑固な父親に認められたい」と思って戦ってきた人でもあるのです。
そんな「圧倒的な存在」としての親は少なくなったとは言え、まだまだ「親の問題」で苦しんでいる人は多くて、自分もそうだ、と思う人もこれを読んでいる人の中にはいるでしょう。
優秀で社会的に成功した親を持つと「仕事のチャンス」や経済的な部分での恩恵はあるけれど、できる親と比較されるので精神的なプレッシャーがきつくて苦しみます。逆に出来の悪い親を持つと、プレッシャーがなく「あんな親だから」みたいな言い訳はできるものの、コネなど期待できないし、経済的にも大変だったりします。
もう1つ「ハンパな親」というのを持った場合も複雑です。

親は自分の「分身」でもあるし、できれば「憧れていたい」のが子供の本音です。初めから「ダメな親」であれば、反抗するなり家出するなり、戦い方はあるけれど、「ハンパ」な相手だと戦いようにもやりずらい。しかも、そんな「ハンパ」な人生だからこそ、子供には何かしら「社会的成功」みたいなものを期待するのでやっかいです。
「スーパースーパーブルーハーツ」で描いたような、自分の子供を追い込んでしまう親も相変わらずいて、この国はまず「自分の親」をどう扱うか?という事が大きな問題になってしまってますよね。
手塚るみ子さんは、あまりに偉大な親を持ったために「凄い人の娘」という見方でしか世間に見てもらえなかった時代があって、そんな自分の生まれと格闘しつつ「自分にしか出来ないことは何か?」という「人生のテーマ」に向き合っていった人なのです。
「私が私が」ではなく「みんなの愛する手塚治虫の価値を守っていこう」と決めたんでしょう。
なんか本当にかっこいいです。
〜「親」をどう考えるか?〜
親という「自分の分身(起源)」をどう考えるのかは、時期によって変わるものです。
若い時期ほど自分の親に期待してしまうので、その分「失望」も多いのです。
その上、親との距離も近く衝突してしまうものです。
それがやがて「親も1人の人間なんだ」と思えるようになるのが30代くらいでしょうか。
親は自分にとって「特別な存在」なのだから、社会的にも「特別」であって欲しい、なんていう願いも「普通の人で何が悪いんだ」みたいに思える事もあります。その先に「まあマシなとこもあるよね」みたいに、自分の親を「やや好意的」に評価しだす時期も訪れます。
問題はそこまで行く間にどれだけ相手を(子や親を)傷つけてしまったか?という話でしょう。
自分の子供に期待するあまり、子供の大事なものを捨てたり、体罰を加えたりした過去がある場合、親子関係の修復は難航するのは当然でしょう。
こういうケースがあまりにも多くて本当に悲しいけど、許せないなら自分から「距離」を取るしかないでしょう。
この「親」との距離について語られてもいいと思うんだけど、うまくいってない親子ほど何かと近くにいてぶつかってしまってます。
100メートルくらい離れて見れば親も他の人と同じ「ただの人間」に見えますからね。

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〜超えるべき壁〜
作家の重松清さんが「親というのは子供の前に立ちはだかる壁のようなもの」だと言っていまして。
そういうのも理想の1つだとは思います。
でもこれは自分の親が「どんな親か?」という部分で違ってくるので、「自分はこの人を超えてみたい」と思えるような親を持っているなら、果敢に壁に挑んで欲しいです。
色々バカなことを言ってきたり、やらかしたりするけれど、親ってのは最後まで子供の幸せを願っている存在なのは間違いないでしょう。
「うちの親だけは、そうは見えない」と思う場合は「そういう人生を生きている人がたまたま自分の親だったんだ」と、もう1つ達観するのが幸せの近道だとも思います。
そんなわけで「親」という「憧れたいけど、面倒くさい存在」をどう考えるか?という話ですが。
やっぱりうまくいかない時は「遠くから眺める」
次に「許す」そして「感謝する」
どっちにしても時間がかかるのが「親問題」ですね。

山田玲司

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