コラム 2017.09.15
【第120号】「勉強しなさい」と「モテなさい」
山田玲司のヤングサンデー 第120号 2017/1/30
「勉強しなさい」と「モテなさい」
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お陰様で新作の漫画「CICADA」の発売のイベントが東京と大阪で決まりまして、いよいよ盛り上がってきております。
東京は2月11日、大阪は18日です(※こちらの記事は2017年1月30日のものですのでイベント自体は終了しております)。
両日ともサイン会もやりますので、よろしくお願いしますね。
まあそれは嬉しい話なんですが、ここの所ずっと考えていた事がありまして。
それは「恋愛の話」に対する若い世代の人達の「拒否反応」の問題です。
ニコ生なんかで「恋愛しようよ」みたいな話になると、とたんに「そういうのもういいんでw」みたいな空気を感じます。
うちのファミリーさんは真面目でいい人が多いので(オフ会なんかで会った実感)「非礼」で「攻撃的」なコメントはめったに流れないんだけど「そういう(恋愛)話はやだな」という感じは伝わってくるんです。
実際に彼女がいない人が昔より増えた感じがします。しかも、そんな彼らが寂しくて死にかけているか?と言えば、それなりに楽しそうなのです。
そんなこんなで「恋愛はオワコンだ」なんて思ってしまいそうになるけど、どうも終わったのは「恋愛をアトラクションみたいにお金をかけて楽しむ」という「恋愛産業」だけのような気もします。
なぜなら、相変わらず「恋愛」をテーマにしたコンテンツは人気だし、ワンピースのような「男女兼用のファンタジー」では恋愛要素は邪魔になるかもしれないけれど、まだまだ恋愛要素の仕込まれたコンテンツは多い。
そもそも男はキャラの女の子に「恋」をして楽しみ、女もキャラの男に「恋」をして楽しむのが、日本の「アニメ文化」の伝統なわけです。
そんなわけで、日本の若者は「恋愛が嫌い」どころか、本音では「ステキな相手が現れるのを死ぬほど待っている」という、「人間としてまともな状態」だと思うのね。
〜「そんな事わかってるし!」問題〜
「もっと恋愛しろよ」なんて年長者は平気で言います。
僕も気をつけないと「良かれと思って」つい「いいから恋をしろ」なんて言ってしまいます。
特に先週の放送の恋愛相談みたいな時とかは「恋愛しろ」と言ってしまうんです。
でもこの言葉。相手によっては「余計なお世話」でもあるんですよね。
「勉強しなさい」と「恋愛しなさい」ってのはどこか似ています。
どっちも結果を求められる世界です。
「勉強しなさい」には「成績を上げていい大学に入りなさい」って話だし、「恋愛しなさい」ってのは「モテなさい」という無茶な要求も含まれている。
そもそも「モテなさい」ってのも「賢くなりなさい」ってのも無茶な要求です。
若い時代はとにかく「見た目」で最初の「モテ度」が決まってしまうし、深く考えずに暗記できる人の方が成績が上がるのが学校の勉強だったりしますから「スタート地点」が明らかに「不公平」にセッティングされています。
「見た目は磨けるはずよっ!」なんて言われるけれど、化粧も服も自由に出来ない学生時代に「お前はないな」と異性に言われたりするわけで、よほどの自己肯定力がなければ「それでも外見磨き頑張る!」なんて思えないでしょう。
そんな風に「生まれつきもっているもの」で決められるのに、この国はすぐに「自己責任」みたいなことを言う。
「モテないのは本人が悪いんだ」って言い方も、想像力に欠ける言い方です。
勉強にしても、意味なく暗記なんか出来ないタイプの人には「結果」の出ない拷問です。
「最近は暗記よりも自分で考えて答えを出すタイプの出題が主流ですから大丈夫ですよ」なんて話も随分前から聞くけど、漢字やら英語のスペルやらを覚えるのが苦手な僕には「自分の思索で判断してもらえるテスト」まで行く前に「県下一のバカ高校」に放り込まれたので、どうにもならなかったし、そういう人は今もいると思うのです。
そんな問題は「東大卒」だの「女優と結婚」だのの前には「負け犬の遠吠え」扱いです。
多くの人が勉強でも恋愛でも「結果出したいし、出さなきゃいけない」と思っているのに、母親みたいな人が「勉強しなさい」「恋愛しなさい」みたいに言ってくるんだから「うるせえよ!」となるのもわかるんです。つまりニコ生なんかで僕らが言ってる「恋愛しろ」は、うるさいママの「勉強しなさい」と同じに聞こえるんでしょうね。ホントーにすまなかった。
でね。
そもそもこの件は全てが「自分の責任」ではないんです。
〜自己責任という大人の責任逃避〜
それにしても、世の中には「いい環境」で育った人と「悪い環境」で育った人がいるのに「結果が出ないのは本人の責任だ」とか言うのもひどい話です。
その昔「小泉構造改革」とかいうブームがあって、当時はやたらと「自己責任」という言葉が流行りました。
「バブル崩壊」は、政府とそれに乗っかっていた大企業の失策によって起きた経済崩壊なのに、その責任はろくに追求せずに一般人に「自己責任」とか言いだしたのです。
自分たちが生き残るために、国民に「痛みに耐えろ」なんて実に品のない「論理のすり替え」が起きていて、その空気が国中を支配していきました。
そもそも結果が出ない問題は「自己」だけの責任なのか?
美味しい野菜を育てたかったら、まずは「いい土」「必要な肥料」「日照時間」「適度な水」なんかが揃ってなければ育ちません。
ろくに環境を整えないで、育たない野菜に向かって「お前が悪い!」なんて言うのは馬鹿げた話です。
高い能力と生産性を持っている真面目な国民に「正しく活躍できる環境」を用意できなかったこの国の仕組みの問題や改善できる点について語るのが「国を愛する人」の努めでしょう。
そんなこんなで、思うのは「自分を責めるのは止めたほうがいい」ということです。
そういう呪いがかけられているだけのことなんです。
ところで「生まれつきもっている武器」は「見た目の良さ」とか「記憶力」とか「体力」とかだけではありません。
「逃げる力」も「和ませる力」も「ひたすら同じことができる」なんてのも、もってる武器ですからね。
そんな「武器」で他者を幸せにできればいいってだけの話なんです。
「恋愛」なんて無理にしなくてもいいんだけど、もし誰かと「愛し愛されたい」のなら、まずは「自分を責めるのを止める」そして「人を責めるのも止める」ことです。
「人間なんだから、そんなのは無理」というのもわかります。なるべくそれを心がけて、人前で悪口を言ったりしないようにすればいいんです。
自分と他人を許すと「仲間」が増えます。
そんな仲間の中には「モテる人」もいるでしょう。そしたら、その人の魅力的な部分を見つけてマネしてもいいんです。
本当は「モテる可能性」があるのに、自分から恋愛を遠ざけている女は「罪」ですよ、という意味でカッキーがつけてくれたのが「モテない女は罪である」だったんだけど、今考えてみるとそれは「自己責任論」にも見えますね。
でも僕もカッキーも伝えたかったのはその逆で、「自分も他人も許せばいい」って話だったんです。
「モテないのは私のせいじゃないのだ!」ってところで一回居直って「じゃあどうしたらいいのか?」「出来ることは何なのか?」ってところにまで行けたら、本当はもう大丈夫でね。
そうなったら「温もりのある人生」も夢ではないんです。
PS
「自分がモテない」のは社会のせいにしてもいいんだけど、「社会が悪いのは自分のせいでもある」くらいの気持ちは少しくらいあったほうがいいでしょう。
そこまでくれば「いい感じの大人」になるんでね。
山田玲司
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Written by
市川 剛史
どすこい喫茶ジュテーム