【第125号】「名言」「座右の銘」は恥ずかしい?
「名言」「座右の銘」は恥ずかしい?
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いやいや、先週の「けものフレンズ」での馬鹿騒ぎは「すごーーく楽しーーーーーい!」だったんだけどね。何しろ疲れが溜まってます。山田玲司です。
ここ1番勝負の時を迎えたCICADA単行本発売があったので、ジタバタしてたのもあるんだけど、とにかくその1つでやっていた「希望のライムキャンペーン」が、思っていた以上に大変でね。あはは。
今回CICADAの単行本を買ってくれた人に、僕から1人1人に「希望のライム」を送るっていうやつだったんですが、何しろこれは僕と読者さんとの「1対1」のやりとりです。
僕が何か「元気になる言葉」を送って、その人を「応援する」ってことです。
しかも、そのやり取りはツイッター上で公開されているので、誰にでも同じことを言っていると、誠意の無さが伝わってしまうのです。完全に人としての「何か」を試される企画なわけね。これ。
よーし・・こうなったら、なるべく相手のことを想像して、自分の言葉で返していこう!
なんて思ってやってたんだけど、いやいや、これがホントに難しい。
おまけにこの国には「名言とか語る人って自己啓発系みたいでかっこ悪い」みたいな人も多い。
確かに僕も、自分は人に「大丈夫さ、日はまた昇る」みたいな事を語って偉そうにしていいほどの人間か?なんて思ったりもするわけです。
まあそれも、他人からすればいつもの「自意識過剰病」なんですけどね。
~「語る」って恥ずかしいの?~
実は絶望に効くクスリでインタビューの最後に「何か座右の銘みたいなものを書いていただけませんか?」なんてお願いすると「それはちょっと」と言って断る人もいました。
その人の性格が意地悪だったから、というわけではなくて「そういう事をするのは恥ずかしい」と思っている人がいるわけです。
確かに「座右の銘」とかを色紙に書いたりするのは、何だか「偉い人になったみたい」だし、
「自分はそんなことを語るレベルにはないですから」みたいな感覚もわかる。
政治家の人なんかは、そういう事にすっかり慣れていて、抵抗なく書いてくれるけど、白浜の海女さんは最後まで「私なんか」と言って書いてくれなかった。
ブルーハーツのヒロトさんは、絶望に効くクスリのオファーに「人生を語ったりすんのは好きじゃないんだけど、ロックの話とかならしたいね」なんて言ってくれたらしい。
我らが志磨遼平も絶望に効くクスリの最後に座右の銘を書いて、と頼んだ時、どこかの「名言」じゃなくて、その時の自分の気持ちを正直に書いてくれた。
こういう人達の「名言を語るのはまだいいよ」という感覚はすごくわかる。
~それでも言葉には力がある~
とはいえ「言葉」ってのはすごい。心を蘇らせてくれる力が確かにある。
語るなんてかっこ悪い、とか、良い事言ってるヤツって信用できない、とか言って「言葉」を使わないのももったいないと思う。
「かっこ悪くたっていいよ、そんなこと問題じゃない」
なんて歌っていたのは、「ブルーハーツ」僕は彼らの「言葉」に深く救われたんだよね。
「君のことを笑うやつは、豆腐にぶつかって死んじまえ」(ブルーハーツ、ダンスナンバー)
なんてね。この曲を書いたマーシーやヒロトの歌詞は名言ぶってないけど、僕には効果絶大だった。
確かに商品化された「名言」に、いいかげんうんざりしている気分もわかるんだけどね。
相田みつをさん的な「自己啓発系のことば」が大量生産されたせいで、そういうのは「ダサい」と思う人が増えたものわかるけど、困っている人がいる時に「相手を元気にする1言」くらいは言ってあげてもいいと思う。
~希望のライムから見えるものとは?~
そんなこんな色々考えていたら、ある事に気がつきました。
僕の「相手を元気にする言葉(希望のライム)」にはいくつかのパターンがある。
「とにかく努力だ!」とか「根性で上をめざせ!」みたいなのはない。
自分が選んだ言葉を並べてみると、今の僕の価値観が見えてきて面白いので書いてみます。
山田玲司の希望のライム5つの特徴
1 「ゆっくりいこう」系
自分もすぐに焦ってしまうタイプなので、まずは「深呼吸から」とか「ゆっくりでも大丈夫」みたいな言葉には救われます。
それに焦っている時の判断は大概あてにならないものです。喫茶去ね。まずはお茶でも、ね。
2 「明けない夜はない」系
自分の漫画でも恥ずかしげもなく「止まない雨はない」なんてセリフを書いてますけど、この悲しみは終わる、全ては流転していて、いつまでも地獄は続かない、ってのは大きな救いです。
でも、その渦中にある人にはそれがわからないものでね。地球が回っている、という希望がね。
3 「正負の法則」系
ご存知、美輪明宏さんのお気に入り理論です。光あるところに影があり、影があるから輝ける、みたいな「世の中の法則」も希望です。悲しみを知ってる人が、本当の優しさを持っている、地獄があったから今の幸せがある、みたいなね。
手塚治虫も暗黒時代があったからこそ、その後の名作の数々を産んでいる、なんていうのも事実でしょう。
悪いことは、良い事のためにあって、折れる必要はない、なんてヤツです。
4 「ミラー原理」系
これは最近よく思うんだけど、人が幸せに生きるための基本法則ですね。
「優しい人が優しくされる」「意地悪な人が意地悪される」ってやつです。
「自分の行為が相手の行為になる」という法則を「ミラーの原理」みたいに言うらしくて、どうも人間には「ミラーニューロン」なる「共感する仕組み」があらかじめあるわけです。
なので、自分のして欲しいことを相手にしてあげるだけで、人間関係の問題の多くは解決してしまいます。
問題は「そんな気分じゃない時」もあるってことです。「媚びたくない」とか「プライドあるんだ」とか「何かの思い込み」なんかで、素直に相手を認められないことはある。
でも、人生なんて「多少の演技は基本行為」です。みんなが「本心」をさらして生きていたらどうにもなりませんからね。
割り切って「それでもご機嫌にいく」とか「それでも笑顔でいく」とか決めてしまうと、相手は自分をご機嫌にしてくれたり、笑顔にしてくれたりするもんです。もうこれは基本だよね。
5 直球系
これは相手を知っていないと嘘くさくなるので、使えないけど「お前ならできるさ」とか「そのまま行け!」なんていう、直球の応援も悪くないものです。
そんなわけで、結果的に自分の中の幸福になる法則みたいなもののパターンに気がついてしまったんだけど、確かに僕はこういうことばかり言っている。このメルマガで言っていることもほとんどが「これ系」の話です。
~それはビジネスか?~
そもそも誰かを100%理解することも、100%正しいことも、人間にはできないのだから「この言葉であの人が元気になるかも」とか「この原理を理解できればあの人は楽になるかも」とか思ったら、気楽に「言葉」をかけてあげてもいいと思う。
たとえそれが「的外れ」だったとしても、それを受け入れるかどうかは、その人次第だしね。
その言葉が「本当の好意か?」「ビジネスで言ってるのか?」なんて、案外簡単にわかるものだしね。
ブルーハーツが世に出てきたころの80年代後半は、「見た目重視の時代」の始まった時期でした。
みんなが「お洒落」を目指していて、直球の表現は「かっこ悪い」と言われていました。
今では伝説になっている「尾崎豊」も嘲笑の対象だったのです。
そんな時代に「僕が言ってやる、がんばれって言ってやる」なんて叫んでいたのがブルハでした。
世紀の大直球です。
当時の僕は「ああ、もう騙されたっていいや」と、彼らの言葉を「本気の言葉」として受け入れたのを思い出します。
言葉は面白い。その裏が見えるのも面白い。それが「嘘」かどうかは時の流れが決めていく。
どうせ1000年後には誰も覚えていないのだから、恥を恐れず人を励ましたいものです。
では皆様、今週も「負けんなよ!」
明けない夜はない!
山田玲司
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保田壮一
Written by
市川 剛史
どすこい喫茶ジュテーム