コラム 2017.09.21

【第126号】小沢健二と坂本龍一が「捨てたもの」とは?

山田玲司のヤングサンデー 第126号 2017/3/13

小沢健二と坂本龍一が「捨てたもの」とは?
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我らが相棒のおっくんが、無事モロッコから帰ってまいりまして。
その旅の事を聞いていて1番驚いたのが、モロッコの安宿で一緒になった何十人かの「ギニア人」男子の団体と仲良くなれなくて残念だった、という話でした。
聞けば彼らはフランス語しか話せず、修学旅行みたいな旅の団体で、女の人には話しかけていたとか、で。
そんな男たちとも「仲良くなりたい」って思うところがさすがです。国連大使に任命したいです。
〜旅をする最大の効果とは?〜
「旅はいいよね」って話は番組でさんざんしているんで、簡潔に言いますと、旅の効果は「日常から離れて、日常を蘇らせる」事だと思います。
「今日からつまらない日常から離れられる!」で始まって「やっぱり家が1番」みたいなね。
今回、松本ジェダイが言っていた「自分にとって大切なものを確認できた」みたいなのは、その典型的な「効果」だと思う。
お金や時間の問題もあって簡単には旅に出られない人も多いと思うので、安易に「大旅行」は勧められないけど、「これ以上こんな毎日が続くなら死んでしまう」と思うなら、少しでもいいから「そんな日常」を離れて「散歩」でも「日帰り温泉」でもいいから「旅」に出たらいいと思う。
そんな「旅」ってことについて考えていたら小沢健二の事を思い出した。
〜私とオザケン〜
小沢健二の話をするのは、彼が新譜を出したからとか、あの有名な「僕らが旅にでる理由」って曲のことがあるわけじゃない。
僕はその昔(90年代初頭)に「ネオ・アコースティック」と呼ばれる連中に興味を持って、色々聴いていた時期があるんですよね。
ネオアコでは代表的な「アズテック・カメラ」から自然な流れで「フリッパーズ・ギター」も聴いてたりしてたわけです。
そんなわけで、Bバージンには小山田圭吾の「コーネリアス」のCDが出て来るし、まあ、いつもの「短絡的なノリ」で楽しんでいたんですよね。
当時は「某有名女性タレントをオザケンと小山田が取り合ってるらしい」とか「その恋に敗れたオザケンが可愛そう」とか「そのせいでフリッパーズは解散したのだ」とか、まあみんな勝手なことを言って盛り上がっていました。
僕は彼らとの繋がりがないので、真意はまったくわからなかったんですけど、僕なりに勝手な解釈をしていて「負けるな小沢」なんて思っていたわけです。
そんな矢先、小沢健二の初のソロアルバムが出ました。
「これは・・」と聴いてみると、その「犬は吠えるがキャラバンは進む」というアルバムは実に素晴らしく、僕はそのアルバムをずっと聴き続ける事になったのです。
そのアルバムはとにかくシンプルで「静か」で「強い」作品でした。
序盤の曲は本当に「何かを喪失した空気」をにじませていて、失望を混乱の先に「ただの公園の情景」を描き出し(今回番組で言っていたローラースケートパークです)最後は「天使」が現れるという、何か質のいい「絵画の展覧会」を観たような気になるアルバムだったのです。
アルバムのタイトルにある通り、当時勝手な憶測で彼らを揶揄していた人達に対する「勝手に吠えてな、僕は行くから」という「強気な一撃」を食らわせてきたわけです。
このアルバムが忘れがたい理由は、それまで「架空の世界」を描いていた「フリッパーズ時代」とは違って、とても冷静に現実の世界に着地をして、その世界を見渡し、ゆっくりと進み初めていく過程が描かれているところでしょう。
元相棒の小山田圭吾はその後もどこか「現実離れした世界」を描いていたのだけど、オザケンは九〇年代半ばにして、その狂乱の日本社会で浮遊していた空気を離れて「着地」したわけです。
だからこそ、その後の大ヒットアルバム「LIFE」があれほど明るく、浮かれ気分に満ちていても、その喜びが「嘘」には聴こえなかった。
そして、そのアルバムには例の「僕らが旅に出る理由」という曲が入っていたんですね。
最近観たアニメの「龍の歯医者」で、その曲が使われていて、なんか面白かった。
90年代は「奈落の底」に落ちていく現実を「お祭り騒ぎ」で誤魔化していたいた時代でした。
そして0年代になると人びとはファンタジー(ハリポタやポケモン)を地元(湘南とか)に居場所を求め、オザケンは本当に旅に出てしまい、長いこと日本に帰らなくなるのです。
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〜坂本龍一が辿り着いた「ゾウ」〜
もう1人今回思い出したのが坂本龍一さんのことです。
坂本さんは高校時代に、あの「学生運動」に参加し、その暴力と議論の不毛さに失望していた若者でした。
当時は70年代初頭で、誰もが挫折感を抱えて「情念」を歌っていた時代です。
坂本さんも当時は情念満載の「フォークソング」のバックで演奏をしていたりしています。
やがてあの伝説の「YMO」がスタートします。
YMOには「情念」はありません。意図的に排除されているのです。
しかも「増殖」というアルバムでは、人民服や同じ顔の人のイメージが使われていて、今回のドレスコーズの「平凡」と重なるコンセプトを持っていました。
ドレスコーズが今回歌っている「暴力的個性の時代ジ・エンド」と同じようなことを言っているようにも見えます。
ただ、YMOがこの時に打ち出していたメインテーマは「個性の否定」というより「情念からの離脱」でしょう。
60年代に理想を抱えて戦っていた若者たちは、大切だったはずの「理想」よりも、個々の「情念」に囚われて、友人や仲間を攻撃し、自分自身をも攻撃してしまった。
坂本さんはこの件についてどう言っていたかはともかく、その後の彼の活動を見ていくと、サウンドはよりシンプルでアコースティックになって行き、YMO時代にさんざん使用していた「電子音」を排除していく。
やがて彼はアフリカを旅して「ゾウ」に何かの「理想」を見つける。
「ゾウは無意味に殺し合わない」という、これまたシンプル発見。
坂本龍一も小沢健二も共通しているのが、「ノイズ」を排除するための「旅」(移動)をしているところです。

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〜ノイズに自分を殺されていないか?〜
「もう何もかも嫌になった」とか「どうせやっても無駄になるだろう」とか思う時は、ほとんどの場合、本人に責任があるわけじゃない。
ほとんどの人は「それなりの努力」はしているのだ。
「嫌になる」のも「どうせ」と思うのも、そういう情報にやられてしまっている事が多いわけね。
卑近な例で言えば、「30歳になったら女は終わり」とか「ハゲはもてない」とか「この国は終わってる」とか「結局は見た目で決まる」とか、本当かどうかも怪しい「どうでもいい情報」が溢れている。
これらのほとんどが「ノイズ」だろう。何しろ目を引けばそれでいい「真意も怪しいゴミみたいな情報」ばかりなのだ。

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〜砂漠の空に何が見えるか?〜

そんなわけで、今回おっくん達が行った「夜の砂漠」にはかなりの効果があったと思う。
そこには「現代社会のノイズ」はなく。何億年も前から輝いている星の光だけ。
ノイズが消えると、自分が存在している奇跡に気がつく。
自分に関わってくれている人やすべての存在にも気がつく。
イケメンでなくても、年をくってても、どこの国の人間であろうと関係ない。
世界には何もなく、世界には全てがある。
ノイズがない世界では、そんな事が「言葉を超えて」感じられる。
その効果の程は、今回帰国した彼らの顔を見ればわかるでしょう。
そんな余裕が無い時は、スマホを置いて散歩に出るだけでもいいけどね。
では今週もご機嫌に行きましょう。
今週の放送では「ララランド」を解説しながら「ノイズ」の話を掘り下げますね!

山田玲司

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保田壮一
発  行:株式会社タチワニ
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