コラム 2017.09.22

【第127号】「夢追い人」は最後にどうなるのか?問題

山田玲司のヤングサンデー 第127号 2017/3/20

「夢追い人」は最後にどうなるのか?問題
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先日、沖縄のある島を車で走っていたら、自転車に乗った人が何か「大きな生き物」を引っ張っていました。
その生き物はなんと「白馬」でした。
馬と言うにはまだ小さく、ロバよりは大きい。しかも真っ白で長毛。なんともV系なたたずまいです。
その人が何者なのかは全くわからなかったんだけど、白馬と言えば女の子達が夢見た「私を見つけてくれる王子様」の乗り物です。
そんなスペシャルな生き物が、沖縄の小島で自転車に乗った男に引っ張られていくのは、なんか複雑、かつ面白い情景でした。
「夢見る少女」が「たられば地獄」に晒されている時代を象徴するようなシーンだな、なんて思いながら、今回の「夢見るのは最高主義」のラ・ラ・ランドの話をずっと考えてました。

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〜「夢を追いましょう主義」ってどうなの?問題〜
そんな「夢追い原理主義」はおかしい、という人もいます。
確かに、人はそれぞれなのだから「夢を追わなければいけない」なんて押し付けるのも変な話です。
夢なんか持っても、実際は叶うはずはない、なんて分かっているくせに、大人は子供を見ると必ずと言っていいほど「将来は何になりたいの?」なんて「夢」を聞き出そうとする。
そして、その子供の年齢が小さければ小さいほど、大きな夢を語ることを期待する。
「僕は総理大臣になる」だの「イチローになる」とか言うと大人は喜びます。
「僕は公務員」とか言うと「今時の子供は夢がない」とかいい出す。
そのくせ、大学生くらいになった人が「将来はイチローになる」とか言っていると「いい加減に現実を見なさい」なんていい出す。
なので、この国では「子供の頃に夢を語り、大きくなったら堅実な将来設計を語る」のが定番になっている。
そうは言っても普通に生きていたら、ある時「素敵なミュージシャン」を見てしまったり「素晴らしい映画や漫画」なんかに出会ってしまうことがある。
そんな時に「いいなあ、私もやりたい」なんて思うのは当然でしょう。
目の前にそれを叶えた人が歌っていたり、素晴らしいコンテンツが沢山あると「自分にできないはずはない」と思ってしまうのも普通の話です。
そんな気持ちになった人が「そのための努力」を始めた時、いくら「その夢」が叶う確率が低くても、その人の努力をバカにするのは、やっぱりおかしいよね。
何かを始めようとして努力をしている人を「お花畑(ドリーマー)」とか「スイーツ」とか言って嘲笑する人には「本当は自分も挑戦したいと思ったけどできなかった」という思いがあるのかもしれないどね。
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〜夢追い人の末路とは〜
では、そんな「夢を追いかけた人たち」はその後、どんな人生を生きるのでしょう?
叶わぬ夢に敗れて悲惨な人生を生きていくのでしょうか?
それとも、後悔のない人生に満足しているのでしょうか?
そのどちらもいるんだけど、様々な人達を見てきて思うのは「人生の満足度」は「夢を追うか、諦めるか?」だけでは決まらない、ということです。
安定を選んだ人は「冒険しとけば良かったかも」なんて言うし、冒険した人は「安定した仕事だったらもっと楽だった」とか言うので、その人それぞれに「いいことも悪いこともある」のは当然ですからね。
これも恋愛と同じで「後悔するかはその人次第」なわけです。
おまけに、人生の喜びは「夢を叶えること」だけではありませんし、「経済的安定」だけでもありません。
だからこそ、誰かの人生を頭ごなしに「こうするべき」と決めてかかるのはナンセンスってことです。
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〜沖縄の「絵描き飲み屋」で見たもの〜
そんな問題の答えの1つが、先日行ってきた「沖縄の飲み屋さん」にありました。
そこは、僕の美大時代の友人の行きつけの店で、米軍キャンプの正面にある繁華街の中にある小さな飲み屋さんです。
僕の美大時代の友人「Mさん」は沖縄生まれで、同じ油絵科のアトリエにいた人でした。
性格は真面目で優しく、僕が彼女に裏切られて死にかけていた時に、黙って車で海に連れて行ってくれた人です。
彼はずっと「絵を描いて生きていく」という夢を持っていたんだけど、なかなかそれが仕事にならず、沖縄に帰って、絵とは関係ない仕事をして暮らしています。
そんな彼に連れられて入ったその飲み屋さんなんだけどね。
入るなり大きな絵が飾ってあって、よく見るとそこら中に絵画作品が展示されているのです。
その作品のほとんどが、そこのマスターの作品で、常連のお客さんもみんな「絵を描く人」ばかりです。
しかも50代から70代まで、みんな人生の先輩ばかり、それがまるで画学生みたいに絵の話で盛り上がっているんです。
それぞれに「夢に近づいた時代」があり「夢に挫折した時代」がある人ばかりです。
中には家が貧しくて絵を描く余裕がなかった人もいて、その人はサラリーマンで定年を迎えてから本格的に「絵」を描き始めた人でした。
そんな「画家仲間」がみんなで、最近「絵を描くこと」から遠ざかっている僕の友人に「いいから描いたらいいさ」とか「1度止めてもまた始めたらいいさ」とか言って、励ますわけです。
「評価」だの「年齢」だの「住んでいる場所」だの関係なく「やりたいこと」をやりなよ、って言っているんですよ、彼らは。
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〜何がゴールか?〜

若い頃は、夢はでかく、妥協は負けだと思っているので、忘れてしまいがちなんだけど、
そもそも自分が惚れた「何か」に向き合っている状態が、実は「ゴール」なのです。
その「何か」で社会に認められたり、お金を沢山もらう事が「ゴール」ではないのです。
これがわかると、「好きなこと」から離れずに生きていくことができます。
「それで食っていけんの?」とか「そんなのはただの趣味じゃん」とか言う意見は「やりたいこと」を「経済」(お金の問題)と関連させる「1つの考え」に囚われている人の意見です。
もちろん人は「食って」いかなければならないので、何らかの経済行為(お仕事)はしなければならないし、それが自分の「好きなこと」であれば最高です。
でもそれが不可能だからと言って、好きなことをあきらめなくてもいいわけです。
その夜、車を運転しなければいけなかった僕は、マスターに「すみません、ウーロン茶で」と言いました。
マスターは笑顔で言いました。
「うち、ウーロン茶ないから、外の自動販売機で買ってきて」って。
僕は自分で買ってきたウーロン茶にマスターにもらった氷を入れて、ずっと笑ってました。
そしてそこにいた人はみんな「まだまだ描くさ、東京でも海外でも自分の絵を売っていくさ」なんて言ってました。
沖縄のララランド。沖縄のセブは70歳。今もご機嫌。
さて、今週も仕事なんかをしつつ、好きな事をしていきましょうかね。

山田玲司

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企画編集:山田玲司
保田壮一
発  行:株式会社タチワニ
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